J3アスルクラロ沼津のMF伊東輝悦(50)が10月31日、沼津市内で会見し、今季限りでの現役引退を表明した。93年、東海大一高から清水入りし、J一筋で32年目。96年アトランタ五輪ではブラジルを破る決勝ゴールを決め「マイアミの奇跡」の立役者となった。現役最年長Jリーガーは「静岡に生まれて良かった」と地元への感謝を口にした。J通算560試合出場を誇る50歳に、思いを聞いた。(取材、構成=武藤 瑞基)
―50歳で区切り?
「(40代で)やめるタイミングもあったけど、50までプレーできたら面白いなと思っていた。そんなおじさんがいてもいいかなと」
―今後の予定は?
「全く決めていない。これから考えたい」
―沼津の後輩にどうなってほしい?
「残り4試合で昇格の可能性が十分にある。今あるチャンスをつかみとってほしい。若い選手が躍動している姿を僕は見たい。最後一緒に喜べたら一番いい」
―若い時と比べて変化は?
「若い頃はミスしてはいけない。完璧にプレーしようとしてきたけど、やっぱりサッカーはそういうものじゃない。一番精神状態が整っていなかったのは日本代表に入った頃。自分を良く見せたい、大きく見せたいが強く働き過ぎて自分らしさがなかった。その後からは自分らしく、自分のできることを精いっぱいやろうと思った」
―沼津のクラブとしての成長は?
「入った時はなかったが、今は(J2の)ライセンスも取れましたし、上がれる状況になりました。(監督が)ゴンさんになって2年で間違いなくクオリティーは上がり、タフになっている。一歩ずつ成長している」
―J1~J3まで全カテゴリーでプレー。
「J1はクラブハウスなど非常に恵まれていた。J3は雪の地域があったり、よりタフ。どのカテゴリーでもサッカーを愛している人がいて、それを支えているファンの方がいて、プレーを続けられて幸せだった」
―地元・静岡については?
「小学1年生からサッカーを始めて、その時から照明があるのは当たり前。指導者の方も含め、恵まれた環境だった。静岡に生まれて良かった」
―どう恩返ししていく?
「どういう形か分からないけど、サッカーを通じて色んな事を学んできたのでいい形で恩返しできれば」
―サッカー人生を一言で表現すると?
「サッカーに出会えて良かった。小さい頃は引っ込み思案でシャイ。でもサッカーをきっかけに多くの友人ができたり、色んな経験ができた」
―日本のサッカー界については?
「海外でプレーする選手が増えたのはいいこと。結果、代表も強くなっているし、いい方向に変わっている」
清水・秋葉忠宏監督(アトランタ五輪で共闘)「寡黙ですけど背中で引っ張ってくれた。技術や判断力が高くサッカーを熟知している選手。僕にとって憧れだったし、テルと組めると僕も輝けた」
清水・市川大祐コーチ(清水、甲府でチームメート)「常に行動でプロとは何かを見せてくれる方だった。危ない所、いてほしい所には必ずテルさんがいてくれる。どの監督でも試合に出続けたのはテルさんのすごいところ」