◆SMBC日本シリーズ2024第6戦 DeNA11―2ソフトバンク(3日・横浜)
「SMBC 日本シリーズ2024」第6戦が横浜で行われ、三浦大輔監督(50)率いるDeNAがパ・リーグ王者のソフトバンクを下し、26年ぶり3度目(前身含む)の日本一に輝いた。リーグ3位からの下克上は10年ロッテ以来で、セの球団では初。筒香、桑原ら2017年日本シリーズの悔しさを知るベテランが躍動し、2連敗後に4連勝。本拠地で大量11得点を奪って頂点に立った。
横浜の夜空に三浦監督は5度、舞った。歓喜の瞬間、涙で頬をぬらしながらコーチ、選手と熱い抱擁を交わした。目を潤ませ、満員のスタンドを目に焼き付けた。
「いや、もう…最高にうれしいです。いろんな思いが…。98年に優勝してから勝てずに…。現役の時は優勝できず、監督としてできて本当にうれしいです」
信念を貫き、セ3位から頂点を極めた。2回に今季途中に復帰した筒香のソロで先制し、この回3得点。5回には打者11人の猛攻で一挙7点を奪い、試合を決めた。開幕から157試合目。ベテランと若手が融合し、最後は9点差でも伊勢―森原の方程式で締めた。連敗から一気の4連勝。リーグ優勝を逃した悔しさを最高の形で晴らし、憧れ続けた矢沢永吉のように、ブレずに格好良く、成り上がりで、2024年を締めくくった。
貯金2のDeNAが貯金42のパ王者を撃破。10年ロッテの貯金8を超える史上最大の下克上は、三浦監督の人生を象徴していた。最下位に沈み、暗黒時代だった08年。2度目のFA権を取得した。幼少期からファンだった同年2位の阪神からオファーを受けたが、悩んだ末に残留した。
「三浦大輔の野球人生を振り返った時、俺はやっぱり強いところを倒して優勝したいな、と。2位のチームに行って優勝して俺は本当にうれしいのか? 最下位から優勝した方が俺らしいなって」
小中高と決して強くないチームで強者に挑んできた。圧倒的不利の下馬評を覆し、パを独走したソフトバンクをなぎ倒した日本シリーズは、番長が目指した生き方そのものだった。
現役だった98年に日本一を達成して以降、最下位11度。スタンドから物が投げ込まれて試合が中断し、自ら拾ったこともある。悔しさより、申し訳ない思いに支配された。
「自分たちが弱いからファンの方にすごく悔しい思いをさせてしまっていた」
力の源はずっと、横浜のファンだった。史上初のプロ野球ストライキが決行された04年9月18日。「怒られるかな…」と恐る恐るサイン会を開くと、驚くほどの大人数が集まった。「頑張ってね、応援してるよって。俺達は支えられている」。思いは強くなった。
「FAの時も。現役最後の時も。引退した後も。監督として戻って来た時も。応援してくれる方がいるから頑張れる。そのために勝って一緒に喜びたい」
高校時代はうそをついて練習を休むなど、やんちゃな時期を過ごし、信頼を得ることの難しさを学んだ。
「信頼を取るには積み重ね。野球だけは絶対に裏切るのはやめよう、裏切りたくない」。勝っておごらず。目の前の一戦だけを見続けた真摯(しんし)な姿勢が、チームを一つにした。毎日、満員のスタンドを見るたびに「これが当たり前じゃないんだぞ」と自分を戒めた。
「満員の中、監督のユニホームを着てベンチにいるのを誇りに思う」
青く染まったスタジアムの熱狂が、何よりもうれしい。日本一インタビューでは壇上から「3位に終わり、そこからもう一度、奮い立たせることができた。苦しい時も、しんどい時も、常に信じて応援していただいた。みなさんと喜び合えたことは最高の気持ちでうれしいです」とメッセージを送った。強者を倒すことこそ、番長の流儀。横浜を愛し、横浜に愛された男が、傷だらけの戦士たちを率いて生きざまを体現した。(内藤 菜月)
◆三浦 大輔(みうら・だいすけ)1973年12月25日、奈良県生まれ。50歳。高田商から91年ドラフト6位で大洋(現DeNA)に入団。98年に12勝(7敗)を挙げ日本一に貢献。2005年に最優秀防御率と奪三振王に輝いた。16年限りで引退。通算535試合に登板し、172勝184敗、防御率3・60。19年に投手コーチで復帰し、21年から監督に就任した。