米人気歌手のマイケル・ジャクソンさん(享年50)の大ヒットアルバム「スリラー」(1982年)などを手がけた、音楽プロデューサーのクインシー・ジョーンズさんが3日、米ロサンゼルスの自宅で死去した。91歳。死因は非公表。ジョーンズさんの広報担当のアーノルド・ロビンソン氏が明かした。
* * * *
音楽評論家で作詞家の湯川れい子氏(88)は4日、クインシー・ジョーンズさんを悼んだ。「マイケル・ジャクソンを見いだして世の中に輩出したこと、自ら声を掛けて『ウィー・アー・ザ・ワールド』で米歌手全員を従わせる手腕は、唯一無二。大往生だった」としのんだ。
湯川氏はジョーンズさんの右腕といわれるキーボード奏者グレッグ・フィリンゲインズ(68)と親交があることから、1990年代に日本のスタジオで会ったことがあるという。「ニコニコして、おしゃべりだったかな。でも、当時からあまりにも大御所ですごすぎたから、私も恐縮しておじけづいてしまった」と当時を振り返った。
功績については、マイケルさんとアルバム「オフ・ザ・ウォール」(79年)からタッグを組み、最も売れたアルバム「スリラー」(82年)を手がけたことだとした。湯川氏は「マイケル・ジャクソンを『ジャクソン5』で終わらせなかった先見の明が、まさに偉大だった」とした。
その上で「彼は名門のバークリー音楽大学を卒業後、パリでも音楽を学んだ。さらに20代の若さで、アメリカのジャズの巨匠カウント・ベイシーやデューク・エリントンにかわいがられた。才能と音楽への真摯(しんし)な姿勢が(周りから)評価された」と評した。
◆クインシー・ジョーンズ 1933年3月14日、米シカゴ生まれ。13歳にはナイトクラブでトランペットを演奏。51年に名門・バークリー音楽大学を卒業後、トランペット・プレーヤーとしてライオネル・ハンプトン楽団に参加。アレンジャーとしての才能を見いだされた。レイ・チャールズ、マイルス・デイヴィス、フランク・シナトラらの作曲・編曲・プロデュースを担当。グラミー賞を獲得したアルバム「愛のコリーダ」は、76年の映画「愛のコリーダ」(大島渚監督)から取られた。