ソフトバンクの和田毅投手(43)が5日、今季限りでの現役引退を発表した。みずほペイペイで会見した左腕は、相次ぐ故障で満身創痍(そうい)となって体力の限界を感じ、7月に決断していたことを明かした。かすみ夫人(42)ら家族以外では、一部球団首脳にしか伝えない“箝(かん)口令”を敷き、シーズン中の引退試合も固辞する美学を貫いた。球界を席巻した“松坂世代”最後の男は、晴れやかな笑みでユニホームを脱いだ。
和田の大きな瞳が、その瞬間だけ潤んだ。選手会長として花束を手渡した周東に続き、サプライズで東浜、又吉、石川、有原、藤井、杉山、リチャードが登場。「何で? ウソや!」。さらに高谷バッテリーコーチ、ダイエー時代のユニホームを着た明石2軍打撃コーチ、続いて球団職員の新垣渚氏が現れると、熱くハグを交わした。「こんなたくさん来てくれると思ってなかった。感無量です」と戦友たちをまぶしそうに見つめた。
肉体的な限界は既に超えていた。「体がどんどんボロボロになっていく」。左膝痛、ぎっくり腰に、左内転筋の肉離れ。登板翌日に39度の発熱も経験した。左肩痛で2018年シーズンを棒に振り、登板時には必ず左肩に痛み止めの注射を打った。「19年から5年間は、ダメになったらやめよう」と誓いを胸にマウンドに立ち続けた。
精神的にも限界だった。猛獣のように相手打者に立ち向かう気迫が、日に日に薄れていくのを感じていた。「選手ではない立場でホークス、野球界に貢献するために、勉強する時間を割きたいという比率が高くなってきた。その比率が完全に上回ったのが今年」と寂しそうに打ち明けた。
まずは、かすみ夫人にユニホームを脱ぐことを伝えた。「ある程度、固まったのは7月。妻に伝えました」。以降は球団首脳、小久保監督、倉野投手コーチ、鈴木チーフトレーナーの計4人にだけ決断を告げた。箝口令を敷いた理由は“男の美学”を貫いたからだ。
「和田さんのために日本一になろう、という空気にしたくなかった」。優勝争い真っただ中のチームをかき乱したくないという思いから、シーズン中の引退試合も固辞。「22年間、真剣勝負で奪ってきたアウトの中に、その一つのアウトを入れたくなかった」。“花相撲”で相手打者が空振り三振。そんな演出は相手への迷惑になるし、自軍投手の登板機会を奪うことにもなると考えた。「オープン戦になれば、豪快に三振してくれても査定には響かない」と報道陣を笑わせて、来年3月に最後のユニホーム姿を見せると約束した。
今後は未定。「“何もしない”が一番のぜいたく。迷惑をかけた嫁さんに、やれなかったことをやっていきたい」と妻孝行するつもりだ。「振り返っても悔いのない、やり残したことのない野球人生でした」。早大時代には東京六大学リーグ記録の476奪三振。10、16年に2度の最多勝を獲得するなど、細身の体で打者をねじ伏せてきた。最後の松坂世代、最後のダイエー戦士が惜しまれてユニホームを脱ぐ。(田中 昌宏)
◆和田に聞く
―米国での4年間は。
「マイナーにいる時間の方が長かったので、ファームで頑張っている子たちの気持ちをじかに知ることができた。帰ってきてからは、若い子に成長してほしいという気持ちで接してきた。だから、接し方も昔ほどトゲがある形じゃなく、それは城所とか明石とか森福とかにも言われました(笑い)」
―プロ最年長で1学年上のヤクルト・石川は現役続行。
「石川さんとも電話で話した。とても、びっくりされていた。(あと14勝で)200勝という大きな目標がある。先にやめる身ですが、そこまで頑張ってほしい」
―恒例の長崎自主トレは。
「(既に来年も)若い子たちからお願いしますと言われている。断るわけにもいかなかったので、引き継ぎという意味でも行きます。(自分以外の誰かが)集まってくる選手たちに慕われる投手に成長してほしい」
◆和田 毅(わだ・つよし)1981年2月21日、島根県出身。43歳。浜田で2年連続で夏の甲子園出場。3年時の98年はベスト8。早大で東京六大学記録の通算476奪三振。2002年ドラフト自由獲得枠でダイエー(現ソフトバンク)入団。03年に新人王、10年にMVP、最多勝。12年に米大リーグ・オリオールズへFA移籍。左肘手術を経て14年にカブスへ。16年にソフトバンクへ復帰し最多勝。179センチ、81キロ。左投左打。年俸2億円(推定)。夫人は元タレント・仲根かすみさん。