歌手の由紀さおりが78歳の誕生日を迎えた13日、千葉・松戸市の森のホール21でデビュー55周年コンサートツアー「由紀さおり 55thコンサート~新しいわたし~」を行った。
「18歳になりました!(笑い)」とチャーミングにあいさつ。「我々の年齢になると、朝晩の寒暖の差が激しくて…。健康であることが大前提だなと思います」としみじみと語った。
今年は3月に55周年を迎え、5月にフランス公演を成功させた。「インターネットの発達で世界が近くなって、すぐに情報を得られるようになった。(逆に)日本文化を発信していくチャンスでもある。日本人のアイデンティティーとして日本語で何かをやるためにはもう1つ、芸がほしいと思い、三味線を一生懸命にやっている。着物を着て三味線を抱えるのは、80歳を超えてもいけるかなって」と説明。「夢と希望を持ってやれるところまでやりたい。最終的には80歳になったら、姉(の安田祥子)と3度目のカーネギーホール(公演)をやりたいですね」と誓った。
1969年に「夜明けのスキャット」でデビューした。この曲は、高島忠夫さんの実弟で、バイオリニスト・高嶋ちさ子(56)の父親でもある東芝音工(のちの東芝EMI)のディレクターだった高嶋弘之氏(90)の「やろうよ!」のひと声で、「日の目を見た曲」だった。
由紀は8月の東京公演で高嶋氏と再会。「“55年後に『夜明けのスキャット』を聴けると思わなかったよ、うれしいな”と仰ってくださいました。そういうお声を聞くと、55年歌ってきたんだなという実感があります」と懐かしんだ。
ステージで三味線を弾くのは、米ロサンゼルス出身の本條秀英二(ひでえいじ)氏。「彼のお父様、お母様はあちらにお住まい。日本舞踊、三味線をおやりになる日系の方がいると伺っています。来年は、そういう方たちの前で(今日のような)舞台ができたら」と意欲。「願わくば、帰りに、大谷(翔平)さんの試合を見て帰りたい。今年は彼のアグレッシブな姿勢からすごく元気をもらった。『ありがとうございます!』とお礼を申し上げたいわ」と誓った。
来年4月9日の東京公演(東京・東京国際フォーラムホールC)など、新たに3公演の開催を発表。由紀は「来年は昭和100年。それにちなんだ企画を考えております」と話した。