国鉄(現ヤクルト)などで活躍した徳武定之(とくたけ・さだゆき)さんが14日、悪性リンパ腫のため東京都の病院で死去した。86歳だった。
徳武さんは東京都出身で、早実高で2年後輩の王貞治さん(現ソフトバンク会長)らと1956年の夏の甲子園に出場。早大に進学し、東京六大学で5季連続ベストナイン受賞、主将となった60年秋には慶大と優勝決定戦の再々試合まで争った伝説の「早慶6連戦」を制して優勝した。
右の強打の三塁手としてドラフトのなかった時代に争奪戦となる中、61年に国鉄に入団。史上3人目の1年目に全イニング出場を果たした。デビューから821試合連続出場は江藤慎一(中日)の809試合連続出場を抜き、現在もプロ野球記録。オールスター戦にも1度、出場した。
68年に中日に移籍し70年限りで引退。72年から中日、ロッテなどでコーチを歴任し、若手選手育成に定評があった。90年ロッテで金田正一監督の出場停止期間中、95年中日では高木守道監督辞任を受け2度の監督代行(通算17勝39敗)を務めた。登録名を「定祐」としたこともあった。次女は歌手の郷ひろみ夫人。通算成績は1063試合出場、91本塁打、396打点、打率2割5分9厘だった。