プロレスリング・ノアの「TEAM NOAH」齋藤彰俊がきょう17日に愛知・名古屋市のドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)で引退する。引退試合は、丸藤正道との一騎打ち。スポーツ報知では、波乱万丈だった34年あまりのプロレス人生を「齋藤彰俊ヒストリー」と題し今月1日から連載してきた。最終回は「三沢光晴&丸藤正道組と闘う引退試合」
(福留 崇広)
34年のプロレス人生。齋藤は引退試合の相手に丸藤正道を指名した。今月6日の後楽園ホール大会。丸藤は、杉浦貴と清宮海斗が保持するGHCヘビー級王座への次期挑戦者決定戦を争ったが敗れた。この試合で解説を務めた齋藤は、両雄が激闘を終えたリングに上がり丸藤へ「彼の背中に三沢さんを感じる」と指名したのだ。14日に都内で開かれた記者会見でその真意を明かした。
「丸藤選手は最初に愛知県体育館にテスト参戦で上がったときに前に立ちはだかってくれた選手でNOAHでの歴史は丸藤選手から始まりました。しかも脳裏に焼き付いて離れないんですけど、三沢さんと丸藤選手がシングル(2001年3月3日、ディファ有明)をやったときに、三沢さんが勝利したんですけど、おぶって花道を帰ったのがどうしても頭から離れないです。これは三沢さんから『丸藤は人を引きつける力があるんだ』って聞いていたので、三沢さんが丸藤選手をどれだけ思っていたのかというのが感じられて。34年間を振り返ってみると、点が線に繋がり、線が絵になった時に『俺の起承転結は、NOAHでの起承転結は丸藤選手に始まり、丸藤選手で終わるべきではないのかな』と。今現在、三沢さんと相対すること、正面に立っていることはできないですし、会話することもできないです。ただ、丸藤選手の後ろに三沢さんを丸藤選手を通して戦える最後の日なのではないかなということで是が非でも最後は丸藤選手と戦いたいという気持ちでした」
齋藤の思いを丸藤は、こう受け止めた。
「あの日以来、僕はあまりリングとかコメントで三沢さんの話はしてこなかったんですけど、今の話を聞いて俺は自分の人生の中で最初で最後、三沢さんを背負って齋藤さんと戦いたいと思いました。もう小細工なしで思いきり試合をやり合いたいですね。だから2対1ですよ、齋藤さん。三沢&丸藤vs齋藤彰俊です」
齋藤は受けて立った。
「本当に幸せじゃないですか。二人三脚をしてきたお二人と自分が戦えるなんて。初めて三沢さんの名前を出したって言われてましたけど、自分もその心意気、それをしっかり胸に叩き込んで、全力で最後まで走り抜けます」
子供の頃、テレビで見たプロレス。「常人離れした」男たちに憧れ「人とは違う人生を生きたい」と誓った。学生時代に競泳で日本トップに立つ一方で私生活では、町のケンカで暴れた。大学を卒業し準公務員となったが、子供の頃の夢を追い続けプロレスラーとなった。新日本プロレスで小林邦昭と闘い、本物のレスラーだけが体現する「超人」を知り、プロレスリング・ノアに飛び込み「三沢光晴」から「受け切る」凄みをたたき込まれた。そして、2009年6月13日。広島で三沢の最後の対戦相手となった。他人では想像もできない苦しみを「すべて受け切る」と決意。その思いを肉体で表現しファン、そしてレスラー仲間から絶大の信頼感を得た。すべては子供の頃に志した「常人離れした」男になるための道だった。他はもちろん、自分自身の「誠実」を貫いた34年のプロレス人生だった。そこには、ひとつの支えがあった。
「三沢さんがお亡くなりになられた2か月後ぐらいに三沢さんが信頼していた方から手紙をいただきました」
手紙を渡した人は、三沢が生前、話した様々な言葉を書き留めていた。便せんには、三沢が語る独特の口調がそのまま再現してあった。そのニュアンスを読み取った時、この手紙の内容は真実だと確信した。
「その方がおっしゃるには、三沢さんが生前に『俺に万が一、何かあったら相手に渡してくれ』と伝えていたそうなんです。そこには、一言一句間違わずに三沢さんの言葉が書かれていました」
手紙の中で三沢は「試合で亡くなることはあってはならない。でも自分で決められない運命がある」と打ち明けていた。そして、万が一、自分がリング上で命を落とすようなことがあった場合、対戦相手へのメッセージも綴られていた。
「悪かった。すまん。相手を信頼して技をかけているのに」
そして、三沢はこんな言葉を贈っていた。
「糧にしろ」
齋藤は、この手紙と09年にファンから贈られた三沢のサインが入ったテレホンカードを常に試合用のバッグに入れている。
「自分の中で何かを思った時に読み返しています。今も自分が試合をすることでものすごい嫌な思いをする人がいると思います。あの試合の後でプロレスから離れた人もいたと思います。だから、自分がプロレスを続けることが正しいかどうか…三沢さんが亡くなってから2、3か月はわかりませんでした」
絶望の中で見えた光がこの手紙だった。
「糧にしろ」
齋藤は、この言葉を信じ「すべてを受け切る」約束を誓い、闘い続けた。
「その答え合わせは、あれから15年を経て確かな答えではないかもしれませんが、自分の中でプロレスを続けたことは間違ってなかったと言えます」
だからこそ引退に「悔いはありません」と胸を張った。そして、約束する。
「最後の最後までプロレスラー。ゴールまで全力で走り抜けます」
(終わり。敬称略)