時代劇や2時間ドラマなどの名バイプレーヤーとして多くの作品に出演し、数々の女性遍歴からプレーボーイとしても知られた俳優の火野正平(ひの・しょうへい、本名・二瓶康一=にへい・こういち)さんが14日に死去した。75歳。所属事務所が20日、公式ホームページで発表した。事務所によると、4月から持病でもある腰痛のため療養していたが、夏に腰部を骨折したことで、さらに体調を崩していたという。
火野さんといえば、「俳優」に勝るとも劣らない“肩書”として知られたのが「モテ男」だった。
有名女優を含めた数々の女性たちと浮名を流し、「昭和のモテ男」「元祖プレーボーイ」などの異名も。火野さんの後に登場した女性関係が派手な男性が「〇〇の火野正平」と名付けられるほど女性好きの代名詞となった。
1970年に幼なじみの女性と結婚し、1男1女が誕生したが、ほどなく別居。その後は次々と女性関係が明らかになった。最高では「11股」したことがあると豪語。妻以外の女性との間にも子どもをもうけていた。また、女性との関係を隠すことなく、堂々と交際を宣言。ワイドショーをにぎわせた。
1983年のコンサート後に行った会見では、女性のタイプを聞かれ「タイプはありません。みんなどこかいいところがあるんです。男が女のいいところを見つけて、女が男のいいところを見つけて世の中うまくいく」「仕事よりも女を取る」と回答。女性を大切にするところが、交際した女性たちの心を奪っていた。
代表作の一つであるテレビ朝日系「土曜ワイド劇場」の「混浴露天風呂シリーズ」では、主演の古谷一行さんが「正平は(混浴する女性が)出てきたら、ちゃんと見てやる、そんな優しさがある」と火野さんの女性に対する接し方を明かしたことも。「にっぽん縦断 こころ旅」の会見では「どんな出会いを求めたいか」との質問に「いい女とかさ」と冗談まじりで話すなど、“生涯現役”を貫いた。