歌舞伎俳優の9代目市川團蔵(いちかわ・だんぞう=本名・市川和雄)さんが、11月19日午前7時36分に誤嚥性肺炎による敗血症性ショックで死去した。73歳。葬儀、告別式は親族で執り行った。
1956年5月歌舞伎座「義経千本桜」の六代君で初代市川銀之助を名乗り初舞台。その後、2代目尾上松緑に師事する。87年5月歌舞伎座「時今也桔梗旗揚」の武智光秀ほかで9代目市川團蔵を襲名。日本舞踊柏木流十代目宗家も兼ねた。
菊五郎劇団の重鎮として無くてはならない存在だった。劇団以外の芝居でも、先人を敬う生き方も含め、後輩の指針となる存在。堂々とした風格とよく通る声で「義経千本桜 大物浦」の武蔵坊弁慶、「毛抜」の八剣玄蕃、「髪結新三」の弥太五郎源七、「河内山」の北村大膳、「魚屋宗五郎」の父太兵衛など、荒事、実事、敵役から老け役までこなし、貫禄と滋味の深まった演技で舞台を盛り立てた。
国立劇場養成事業の歌舞伎俳優研修の講師も務めていた。最後の舞台は24年5月歌舞伎座「四千両小判梅葉」隅の隠居。2000年第十九回眞山青果賞奨励賞。祖父は8代目團蔵。屋号は三河屋。