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国際、全日本プロレスで活躍した「名レスラー」マイティ井上さん、75歳で死去…先月6日は都内でトークイベントに出演していた

スポーツ報知 2024年11月28日 21時37分

 国際プロレス、全日本プロレスで活躍し「和製マットの魔術師」とうたわれた元プロレスラーのマイティ井上(本名・井上末雄)さんが27日、心室細動のため急逝した。75歳だった。関係者が明かした。かつて所属した全日本プロレスは公式ホームページで井上さんを追悼し死因を「心室細動」と公表した。

 井上さんは、1949年4月12日、大阪市福島区出身。高校を2年で中退し国際プロレスへ入門し67年7月21日、名古屋市金山体育館でデビューした。抜群のセンスと必殺技の「サマーソルトドロップ」に代表される軽快な技で人気を獲得。74年10月にはスーパースター・ビリー・グラハムを破りIWA世界ヘビー級王座を奪取し国際プロレスのエースへ駆け上がった。

 81年8月の国際プロレス崩壊後はジャイアント馬場さんが率いる全日本プロレスへ移籍。ジュニアヘビー級のトップ選手として84年2月にチャボ・ゲレロを破りNWAインターナショナルジュニアヘビー級王座を獲得。同王座を連続6度防衛する最多連続防衛記録を樹立した。

 98年6月に現役引退。以後はレフェリーに転向し全日本の中堅の試合を裁いた。2000年6月に全日本を退団し三沢光晴さんが旗揚げしたプロレスリング・ノアに移籍。レフェリーを務めたが09年いっぱいでノアを退団。2010年5月22日、後楽園ホールで行われた「マイティ井上レフェリー引退記念興行」でレフェリーから引退した。その後は、宮崎・都城市へ移住。19年2月19日には両国国技館で開催された「ジャイアント馬場没20年追善興行~王者の魂~」の第1試合の「ジャイアント馬場メモリアルバトルロイヤル」でレフェリーを務めた。

 井上さんは、今年10月7日にIWA世界ヘビー級王座獲得から50年目を迎えることを記念し、10月6日に東京・水道橋で開催された「マイティ井上プレミアム・トーク・ライブ」に登場していた。MCを務めた木原文人リングアナウンサーは「国際時代、ドイツでの試合、全日本時代…あらゆる試合の日付けをすべて覚えていらっしゃってすごい記憶力でした」と振り返り「今、神戸に住んでいらっしゃるとお聞きして、足が悪いとおっしゃっていましたが、つい先月まであれほどお元気だったマイティさんがお亡くなりになるなんて…言葉もありません」と声を震わせ追悼した。

 木原氏は、井上さんとの思い出を「全日本プロレスは90年の冬から馬場さんが全選手、全社員をハワイへ連れて行ってくれていたんですが、その時にマイティさんと同部屋でまだ、入ったばっかりの自分に気さくにお話してくださいました。それから『おい、飯食いにいかへんか』って声をかけていただいて、お酒の席でもすごく楽しい方でした。上の選手からは信頼され若手選手には慕われた方。そういう意味で馬場さんとかの上の方たちと若手をつなぐカンフル剤のような方でした」と明かしていた。

 また、全日本プロレス時代に公私ともに親交があった全日本の和田京平名誉レフェリーは、井上さんについて「試合は抜群。あんなセンスのいいレスラーはいなかった」と絶賛。リング外では「マイティさんとのお酒は楽しくてね。みんな誘われると、若手選手はうれしくてついて行きましたよ。レスラーとしても人間としてもすばらしい人でした」としのんでいた。

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