◆報知新聞社主催 男子プロゴルフツアー メジャー最終戦 日本シリーズJTカップ 最終日(1日、東京よみうりCC=7002ヤード、パー70)
前週まで賞金ランク2位で、4位から出た金谷拓実(26)=Yogibo=が1イーグル、4バーディー、3ボギーの67で回り、通算9アンダーの3位で終え、賞金ランク首位だった平田憲聖(24)=エレコム=を逆転して初の賞金王に輝いた。広島から駆けつけた母・美也子さんの前で、頂点に立った。賞金ランク1~3位に与えられる欧州ツアーの出場権を手にし、米国時間3日から行われる来季米下部ツアーの2次予選会(同6日まで、カリフォルニア州など)に挑戦する。
思いを乗せたパットがスライスラインを描いてカップに消えた。金谷は17番パー5、ピン左10メートルへ2オンに成功すると、気迫を込めて球を押した。「最後の5ホール(14番以降)は気持ちだと思ってプレーした。長いパットが入ったのはファンの応援があったから」。初の賞金王を決定づけるイーグル。高ぶる感情を拳に乗せ、2度大きく振った。
今季4勝の平田と約289万円差で最終戦を迎えた。ネットニュースをシャットアウトし、集中した。3日目を4位とし、運命の最終日。「ピンチも我慢強くプレーした」。序盤は3番でバンカーからパーをセーブする粘りのプレーを見せ、6番の初バーディーから連続で伸ばした。ハーフでは単独4位で、一方の平田は14位タイ。このままなら逆転で決まる。
会場には前夜(11月30日)に駆けつけた、母・美也子さんの姿があった。昨年6月のBMW日本ツアー選手権森ビル杯。表彰式で、言葉を詰まらせ「昨年(2022年)、母が乳がんの告知を受けた」と明かした。アマ時代は遠征先までハンドルを握り、送迎してもらった母が、今は病と闘う。自身の活躍が一番の良薬になると考えて、いっそう真摯(しんし)に取り組んだ。「広島から母も応援に来てくれて、しっかり自分のプレーをしようと思った」
母や、名前入りのタオルを持った応援団に後押しされた金谷は14番でバーディー。16番でバウンスバック(ボギー直後のホールでスコアを戻す)すると豪快にガッツポーズを作った。「18ホール、本当に長かった」。緊張から解き放たれ、息をついた。最終戦逆転での賞金王は史上3人目。優勝以外では初となった。「平田選手が今年、引っ張ってくれたおかげでツアーのレベルも上がった」と謙虚に語った。
悔しさから始まった一年。前年の賞金ランク3位で欧州ツアー出場権を得たが、出場機会が回って来ず、黙々と練習を続けた。3月の開幕戦で優勝したが、途中で不調に陥り、2勝目は10月までずれ込んだ。「最後に力を発揮するには練習量が必要。根性でやっていた」。浮き沈みを乗り越え初のタイトル奪取に「一日一日、少しずつ成長することを心がけ、結果につながって良かった」と満足感を示した。
3日からは来季米ツアー及び、米下部ツアーの出場権をかけた2次予選会が控え、欧州ツアーの出場資格も手にした。来年のプランは未定だが、海の向こうに思いを向ける。「すぐに試合(予選会)があるので、これからも成長していきたい」。松山英樹(32)、中島啓太(24)らがいる海外の舞台へ、賞金王の称号と自信を胸にチャレンジを続ける。(岩原 正幸)
会場で息子の雄姿を見守った美也子さんは「(昨年6月の表彰式での発言は)こっちがびっくりしました。あの場で言うということは、本人も相当つらかったのでしょう」と振り返った。「私がいない方がいいかなと思ったけど、(目の前で見られて)良かったです。おめでとうと伝えたい」と笑顔で語った。
◆金谷 拓実(かなや・たくみ)1998年5月23日、広島・呉市生まれ。26歳。5歳でゴルフを始め、広島国際学院高2年時に日本アマ選手権で17歳51日の大会最年少V。東北福祉大で18年アジア太平洋アマ選手権優勝。19年の三井住友VISA太平洋マスターズでツアー4人目のアマVを達成。20年にプロ転向し、同年11月のダンロップフェニックスでプロ初V。通算7勝。172センチ、75キロ。家族は両親と兄。
▽最終戦での逆転賞金王 日本ゴルフツアー機構(JGTO)によると、99年のJGTO発足後では、00年のファンケル・オープンin沖縄を制した片山晋呉(771万3253円差の賞金ランク2位)、17年の日本シリーズJTカップを制した宮里優作(1717万7831円差の賞金ランク2位)に続く3例目。