プロスケーターの羽生結弦さんが、7日に30歳の誕生日を迎える。カウントダウン連載の第2回は、2018年平昌五輪で男子66年ぶりの連覇を達成するなど、記録にも記憶にも残る競技者時代の20代を振り返る。
20歳を迎えた羽生結弦の進化は続いた。記録にも記憶にも残るアスリートとして、歴史に名を刻んでいった。3連覇を達成した2014年の全日本選手権後に、こう口にした。「壁を乗り越えたけれど、その先には壁が見えた。壁の先には壁しかなかった」。高みを目指し続ける勇者にしか見えない景色の中で、20代を生きることになる。
15年NHK杯で、フィギュアスケートを新時代へ導いた。ショートプログラム(SP)で自身の世界最高得点を更新すると、史上初となるフリー200点、合計300点超えを記録。2週後のGPファイナル(バルセロナ)で再びトリプル世界新をマークした。「世界最高得点という評価はうれしいし大事だけど、それ以上にどれだけ自分の演技を極められるかが大事」と絶対王者は言った。
重圧を力に変えることができる選手は、強い。18年平昌五輪。逆境を乗り越え、男子66年ぶりの連覇を成し遂げた。前年11月、NHK杯の開幕前日の練習で転倒し「右足関節外側靱帯(じんたい)損傷」の診断を受けた。ロシア杯以来4か月ぶりのぶっつけ本番が、五輪の大舞台。SPで完璧な演技を見せ、歯を食いしばるようにフリーを滑り抜いた。「スケートをやめなきゃいけなかったらどうしようと思った。それだけスケートにかけ、いろいろなものを捨てた」。そう言い切れるだけの情熱をささげてきた。
3度目の五輪となった22年北京大会のフリー「天と地と」で、クワッドアクセル(4回転半ジャンプ)に挑んだ。前日の公式練習で痛めた右足首で跳びにいった。「挑戦しきった、自分のプライドを詰め込んだ五輪だった」。点数では測れない領域に達した選手が、新たなステージに進むことは必然だった。22年7月19日。都内のホテルでプロ転向を表明した。「より強くなりたいと思って決断した。プロのアスリートとしてスポーツであるフィギュアスケートを大事にしながら、羽生結弦の理想を求めて頑張っていきたい」。プロとして、羽生は今、新たな道を切り開いている。
(高木 恵)=敬称略=