1月4日に老衰のため死去した日本を代表する写真家・篠山紀信さん(享年83)を偲(しの)ぶ会が誕生日だった3日、都内のホテルで行われた。フリーアナウンサーの有働由美子(55)が司会を務めるなか、歌舞伎俳優・松本白鸚(82)ら400人が参列した。
巨匠の別れを惜しむように、真矢ミキ(60)、水沢アキ(69)ら篠山さんの被写体たちが花を手向けた。白いバラに包まれた祭壇にはほほ笑む篠山さんの写真。会場にはジョン・レノンさんとオノ・ヨーコさん(91)の写真や若かりし頃の篠山さんの写真が数多く展示された。愛用していた本物のカメラ、手がけた写真集や表紙を飾った雑誌も飾られた。
弔辞を読んだのは篠山さんと親交の深かった劇作家で演出家の野田秀樹氏(68)。カフェで弔辞を書こうとパソコンを開くと店員に「パソコン禁止」と言われ、手書きで和紙に一発で書いたと話すと笑いが起きた。篠山さんが被写体の近くで写真を撮る原点について「若い時、リオのカーニバルを撮った時に悟ったのよ。外から撮っても全然ダメで、中に入るしかないと飛び込んだ。そうしたらいい写真が撮れちゃった」と話していたことを紹介。「人を乗せるのが上手で、乗せた割には深追いしない。恋愛の達人のような人だった」としのんだ。
篠山さんのことを「巨匠」と慕った歌舞伎俳優の市川團十郎(46)もスピーチ。17歳の新之助時代に初めて撮影されたという團十郎は「『いいね! それ、新之助』と言った時に『あ、この人、本当のこと言ってんな! なんだろうこれ』っていうふうに初めて感じた」と振り返った。続けて「『この髪形、本物なのかしら?』と思いまして、17歳の時にちょっと引っ張ってみようと思ったらね……。先生いつもは怒らないんですよ。でもすごく怒りまして。『やめろ!』って。どうもすみません」ととっておきのエピソードを披露した。
最後に遺族を代表して長男・有紀さんがあいさつ。「父は『今までで最高の一枚はどの写真ですか?』と問われると必ず『それはね、次に撮る一枚ですよ』と答えておりました。きっと今も最高の一枚を撮り続けていると思います」と話し、参列者に感謝の辞も述べた。