J2ベガルタ仙台は7日に行われたJ1昇格プレーオフ(PO)決勝の岡山戦に0―2で敗れ、4年ぶりのJ1昇格を逃した。今季J1C大阪から期限付き移籍3年目のFW中島元彦(25)は攻撃の中心選手としてリーグ戦全38試合に出場し、チームトップの13得点5アシストを記録。仙台サポーターから一番愛されるFWが決勝直後の夜にインタビューに応じ、3年間の総括や、来季への率直な思いなどを話した。(取材・構成=山崎 賢人)
あと一歩のところでJ1昇格を逃し、選手、サポーター、関係者が悔し涙を流した夜。今季1年の後悔は「ないですね」と中島はうそ偽りのない目で真っすぐに答えた。「この1年良くも悪くもチームを引っ張ったし、やりきったっすね」。リーグ戦で全試合に出場。PO準決勝・長崎戦(1日、4〇1)では2得点を決める活躍で昇格の夢を見させてくれた。
22年の4月6日、育成型期限付き移籍でシーズン途中に仙台への加入が発表された。「セレッソで出られないのも納得いかなかったし、それに対して結果で見返そうと決断した」。合流直後からボランチの先発で33試合4得点7アシストと攻守で躍動。シーズン前半は優勝争いをする原動力だったが、後半戦で対策されて大失速。PO出場を逃す7位に終わった。「ボールのつなぎ役として攻撃に全振りってわけにもいかない。対策されるとこんなにも、もろいんだな」と、悩んだ1年になった。
悔しさを晴らすために育成での期限付き移籍を延長した2年目。仙台にとって歴史のある特別な背番号「7」を背負い、主に左のトップとして32試合6得点5アシストを記録。だが、チームはキャンプで積み上げたものをシーズン途中で変更し崩壊。結果は過去最低順位の16位で終戦。「1回変な基盤を組んじゃったが故に立ち直れへんくなって、チーム全体が1年悩んだ。個人としては数字だけ見ればそんな悪くないけど、物足りなさもあった」
「後悔が残るのが嫌」と期限付き移籍での延長を決断した3年目。2015年のU―16日本代表などで指揮官だった森山佳郎監督の下、1年目と2年目を完璧に融合させた1・5列目としてキャリアハイの活躍。「自分のことも分かってもらえてるし、ゴリさん(森山監督)で良かった」。キャンプから徹底的に鍛えたフィジカルを存分に発揮し、前線でボールを追い続け勝利に導いた。
仙台での3年間は「サッカーだけじゃなく、プライベートもいろんな街の人に良くしてもらって、心身ともに充実していた。大阪では考えられへんし、温かい気持ちにさせられました」。岡山に敗れた直後は自身のチャントを聞きながら涙を流した。サポーターからどれだけ期待され、愛されているのかが分かるからこそ、悔しかった。「申し訳なかったですね。正直周りの音が聞こえないくらい頭も真っ白で。勝っても負けても退団する選手もいたり、涙が止まらなかった」
仙台としては昨年から背番号「7」とともに、完全移籍を打診。だが、地元でアカデミーから所属するC大阪への思いもあり、レンタルにとどまっていた。来季については「色々考えながらバスに乗りましたけど、まだ何も考えられない」。今決断できているのはC大阪か仙台の2択。「情に引っ張られやすいし、クラブに対しても色々考えてしまうので、他のクラブは考えていないです。(20年に育成型期限付きで在籍した)アルビ(新潟)も好きやったですけど、まだ若い時で感情が動いていなかった。一人になったときに考えて、早めに決めたいなと思っています」。サッカー選手として中堅と言われる25歳。人生を歩んできたC大阪か、「俺らと一歩踏み出せば お前とならどこまでも」と熱烈に応援してくれる仙台か。率直な心境を吐露した。
◆中島 元彦(なかじま・もとひこ)1999年4月18日、大阪市生まれ。25歳。2008年のC大阪U―12への加入を機に西U―15、U―18とアカデミーで育つ。高校2年時の16年5月に2種登録されると、同月15日にJ3のC大阪U―23としてJ初出場。翌17年7月23日の鹿児島戦で初ゴールを記録した。18年にトップチームへ昇格。20年には当時J2の新潟へ育成型期限付き移籍。21年にC大阪復帰後、22年4月に出場機会を求めJ2仙台へ育成型期限付き移籍で加入した。J1通算12試合2得点。J2通算138試合28得点。J3通算78試合19得点。171センチ、71キロ。利き足は両足。