東京六大学野球リーグの慶大は14日、横浜市内の日吉キャンパスで納会を行った。主将の本間颯太朗内野手(4年=慶応)は高校から7年間、「KEIO」のユニホームに袖を通した日々を振り返り、指導者や仲間への感謝を口にした。
感極まった。惜別のスピーチ。グラウンドではあえて、厳しく振る舞ってきたキャプテンの目が、潤んだ。主将として臨んだラストシーズンは5位に終わった。それでも最後の早慶戦、直後に優勝を決めた早大に対しての連勝は、強烈なインパクトを残した。
「秋の法大戦が終わってから、5位が確定した中で、優勝が懸かっている早稲田に対してチームとしてどのように勝つか、必死に練習した3週間でした。考えて、努力して、最高の結果を出せた…4年間で一番、印象に残っている出来事です」
自身はこの秋、4カードを終えて22打数1安打の打率0割4分5厘。責任を痛感していたが、グラウンドでは努めて快活に振る舞った。そして早慶1回戦では値千金の追加点をたたき出すタイムリー。同2回戦では同点タイムリーと暴れまくった。その背中を3年生以下が、確かに見ていた。残した最高の「置き土産」だった。
「スタンドの部員を含め、チーム全体で『早稲田に勝つ』という覚悟が、本当に大きかったからだと思います」
大阪生まれの奈良育ち。中学硬式の名門「生駒ボーイズ」では全国大会に出場。中3の夏には野茂英雄氏が総監督を務める「NOMOジャパン」の主将としてサンディエゴとロサンゼルスに遠征した。ドジャースタジアムで練習を見学すると、本間らメンバーはデーブ・ロバーツ監督に「大きくなったら私のためにプレーしてください」と激励された。
学業も優れていたことから、推薦入試で慶応高に進学。2年秋からは主将になった。鬼になって、戦う集団になることを求めた。「めちゃくちゃ嫌われていたと思います。自分でも分かっていました」。長い鍛錬の冬が過ぎ、春を迎えた頃、日本中のグラウンドから球音は消えていた。
2020年春、新型コロナウイルスの猛威-。
帰省していた5月、夏の甲子園大会の中止が発表された。頭が真っ白になり、ずっと泣いた。その夜、森林貴彦監督とナインはZoomで全体ミーティングを行った。指揮官は言った。
「ここから先が君たちの人生だ。これまでやってきたことは無駄じゃない」
再び大粒の涙が頬を伝った。
慶大3年の夏、母校が107年ぶりに甲子園優勝を果たした。森林監督は日吉に帰還後、慶大グラウンドへとあいさつに訪れた。本間が「優勝おめでとうございます」と伝えると、恩師からはこう言われた。
「本間の代のコロナで野球ができなかったこと…いろんなことがつながって、今年日本一になれたんだよ」
熱いものが、胸にこみあげた。
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卒業後も野球は継続する。新天地への意気込みをこう語った。
「野球をやっている以上、チームで最高の結果を出すことにフォーカスしたい。慶応で一番学んだことは、チームで勝つ確率を1%でも上げるために、どのように行動していくか、考える力だと思います。チーム内の置かれた立場で、常にベストを尽くせるような、野球人生にしていきたい」
スマホのレコーダーのスイッチをオフにした瞬間、本間は「今までありがとうございました」と、いい笑顔で言った。「鬼」と呼ばれたキャプテンが重圧から解放され、優しい笑みを浮かべた。(加藤 弘士)