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31歳で箱根駅伝を走った今井隆生先生が率いる埼玉の藤中が全国中学駅伝優勝 今井先生、感涙「子供たちの力は無限大です」

スポーツ報知 2024年12月15日 13時46分

 全国中学校駅伝が12月15日、滋賀・野洲市の希望が丘文化公園で行われ、男子の部(6区間18キロ)で、埼玉・鶴ヶ島市立藤中が57分17秒で初出場初優勝した。1区で斎藤駿が1年生ながら首位と19秒差の14位と健闘すると、2区でハサヌディン知輝(3年)が11人抜きで区間2位の力走で3位に浮上。3区の古西祐翔(3年)、4区の塚原泰志(2年)が懸命にタスキをつなぎ、3位をキープした。5区の久野温正(3年)が首位の静岡・浜松市立細江中と8秒の2位に浮上。今年8月の全日本中学陸上3000メートルで5位入賞したエースの植松遼(3年)が9分7秒の区間新記録の圧巻の走りで逆転優勝を飾った。

 34秒差の2位は千葉・我孫子市立我孫子中。3位は細江中だった。

 女子の部(5区間12キロ)は、41分18秒で岡山市立京山中が2連覇した。47秒差の2位は富山市立大沢野中。3位は鹿児島・神村学園中で、上位3校の順位は昨年と同じだった。

 男子の部で初出場で初優勝の快挙を成し遂げた藤中を率いるのは、駿河台大OBの今井隆生先生(34)だ。2022年の第98回箱根駅伝で初出場し、19位となった駿河台大の一員として当時31歳で4区を走った経験を持つ。

 今井先生は20年4月に「もっといい先生になりたい」という思いで教員の「自己啓発等休業」を活用し、駿河台大心理学部3年に編入学した。同時に東京・大泉高時代からの夢だった箱根駅伝出場を追いかけ、駅伝部に入部。1年目は予選会で敗退したが、ラストチャンスの2年目に駿河台大の初出場に貢献した。22年1月の本戦では4区に出走。区間最下位に終わったが、タスキを埼玉・越生中教師時代の教え子でもある5区の永井竜二(当時3年)に託した後、徳本一善監督(45)が運営管理車から「2年間、ありがとう。謝ったらブッ飛ばすから!」と独特の表現で今井先生をたたえたことは箱根駅伝史に残る名場面となった。

 22年4月、教師に復帰。飯能市立南高麗(こま)中学校を経て、昨年4月に藤中に異動。今年は陸上部を指導しながら2年1組を担任している。

 この日、懸命に走る教え子の姿に今井先生はレース中に感激の涙を流した。「子供たちが持っている力は無限大です。子供たちの頑張りを見られて幸せです」としみじみと話した。

 今井先生は、駅伝チームをサポートしてくれた学校や地域、卒業生に感謝した。「全国大会出場が決まってから地元の方々が物心両面でサポートをいただきました。卒業生の伊地知賢造君(国学院大~現ヤクルト)は親御さんを通じて寄付金を持ってきてくれました」と明かした。

 生徒たちの今井先生への信頼は厚い。男子主将の植松は「厳しいですけど、すごく熱心です」と話す。全日本中学陸上3000メートル5位入賞した実力者の植松は「将来は箱根駅伝に出場したい。近所(藤中から約2キロ)の東洋大か、藤中の大先輩の大先輩の伊地知賢造さんが活躍した国学院大に行きたいです」と目を輝かせて話す。

 今井先生の教育・指導方針は「過去の自分、昨日の自分を超えよう」。それは自分自身に対しても同じ。「これまで私の最高点は22年の箱根駅伝4区。それを超えたい。藤中が全国大会で活躍したり、将来、植松たちが箱根駅伝で活躍してくれれば超えられると思っています」と言葉に力を込めて語る。駿河台大で「箱根への道」を全力で駆けた今井先生は次世代の人材とランナーを育てている。

 ◇埼玉県鶴ヶ島市立藤(ふじ)中学校 1979年4月、開校。所在地は鶴ヶ島市藤金。生徒数は約500人(各学年5クラス)の中規模校。学校教育目標は「ともに学び、未来を拓(ひら)く たくましい生徒の育成」。主な陸上部OBは名倉雅弥(86年アジア大会男子200メートル銅メダル)、伊地知賢造(21年全日本大学駅伝8区区間賞)。

 ◇今井 隆生(いまい・たかお)1990年8月31日、東京・保谷市(現・西東京市)生まれ。34歳。大泉高では陸上部。2009年に日体大入学後、トライアスロンに転向。13年に卒業し、トライアスロン実業団ケンズへ。16年に引退し、その後、埼玉県の中学校教員に採用された。自己ベスト記録は5000メートル14分11秒10、1万メートル29分26秒99、ハーフマラソン1時間4分11秒。マラソン2時間19分24秒。165センチ、52キロ。

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