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藤波辰爾、「力道山」命日「メモリアルマッチ」で百田光雄へサプライズ要求「復帰戦は僕とシングルマッチ」…12・15新宿

スポーツ報知 2024年12月15日 16時32分

◆COMBOプロレス「力道山 生誕100周年メモリアル大会」(15日、新宿FACE)

 COMBOプロレスは1963年に39歳で亡くなった“日本プロレス界の父”力道山の命日を迎えた15日、新宿FACEで「力道山 生誕100周年メモリアル大会」を開催した。

 力道山は1924年11月14日、日本統治下の朝鮮で生まれた。1940年に大相撲の二所ノ関部屋に入門。関脇まで昇進したが50年に大相撲を引退しプロレスラーに転向。、52年に日本プロレス協会を設立。日本初の本格的プロレス興行となった54年2月19日に蔵前国技館で木村政彦とタッグを組んでシャープ兄弟と対戦し、前年にスタートしたテレビ放送と共に戦後復興の象徴となり国民的ヒーローとなった。ジャイアント馬場さん、アントニオ猪木さんら昭和プロレスの隆盛を支えた多くの弟子も育てたが、63年12月8日に赤坂のナイトクラブで暴力団員の男に刺され、1週間後の12月15日に都内の病院で39歳の若さで亡くなった。

 今年は力道山の生誕100年のメモリアル。メインイベントの「力道山生誕100周年メモリアル」試合でプロレス界のレジェンド、藤波辰爾が長井満也、LEONAと組んで力道山の孫の力、山本SAN、Xと対戦した。

 Xは当初、力道山の次男で力の父・百田光雄が出場を予定していたが入場でマイクを持った百田は「体調が回復しない」と肺がん闘病中であることから欠場を発表。そして「素晴らしい選手に代わって出ていただくことにします。大森選手お願いします」と代役で大森隆男が出場することを発表した。

 メモリアル試合では藤波が力にチョップをたたき込み、ドラゴンスリーパーで絞め上げた。めまぐるしい熱闘は、瞬く間に試合時間の20分が過ぎ去り時間切れ引き分けとなった。力道山の命日でのメモリアルマッチに「感慨深いものがあります」と明かした。力道山が設立した「日本プロレス」で1971年5月にデビューしたドラゴンは「力道山先生とはお会いできなかったですが、少しでも先生が我々に残してくれたプロレスを大事にして守っていきたい。僕自身が少しでも長くやることが恩返しになると思っています」と誓った。

 試合後のリング上で百田光雄に花束を贈呈。百田は肺がん闘病中でリングからは遠ざかっているが「百田さんは、リングに上がると目がキラっと光っていた。レスラーにとってリングはパワースポットだから、こうした形でいいですからリングに触れていていただきたいです」とエールを送った。さらに大会後には、同じ控室の百田へ「復帰戦は僕とシングルマッチですよ」と要求。これに百田が「はい、はい。そこまでオレが生きていれば」と笑顔で返すと「大丈夫ですから!」と対決を待ち望んでいた。

 

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