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【高校野球】八戸学院光星の左腕エース2人が目指すプロへの道…洗平比呂はJR東日本、岡本琉奨は東日本国際大へ

スポーツ報知 2024年12月20日 6時30分

 今春センバツ出場の八戸学院光星(青森)を下級生の頃から支えてきた左腕エース2人が、異なる道のりでプロ入りを目指す。社会人野球・JR東日本に進む洗平比呂(3年)は、けがを治しながら高いレベルの中で成長していくと決意。南東北大学・東日本国際大に進学する岡本琉奨(るい、3年)は自ら考えて練習を積み、力を伸ばしていくと意欲を語った。

 夏に左肘手術 最後は悔しさが残ったが、聖地のマウンドでの記憶は今も胸に残っていると、八戸学院光星・洗平はこう振り返った。「甲子園に3回も出られたのはいい思い出です。印象に残っているのは1年夏。(2学年上の兄の)歩人(あると、現国学院大)と一緒に出て試合にも投げられたし、抑えられた。でも最後はきちんと投げられなくて悔しさもある」。甲子園で6試合に登板したが、最後の夏は青森大会準々決勝で青森山田に敗退。洗平は先発したが4回途中2失点で降板した。

 夏の大会後、実はセンバツ時から痛みを感じていた左肘の手術に踏み切った。12月に入り、短い距離でのキャッチボールができるまで回復。「もう痛みはない。ここから状態を上げていきたい」と前向きだ。これから挑む社会人の世界について「プロの次にレベルが高い。自信はあるけど最初はうまくいかないと思う」。それでも「3年のときは(配球を)自分で考えていた。先輩たちがどんなリードをしてくれるのか楽しみ」と胸を躍らせた。

 都市対抗は幼少時に一度応援に行った記憶があり、「応援のイメージが強い。すごく盛り上がっていました」。現在は「体がまだまだ細い。筋肉を大きくしたいし、力を出せる体がないとけがをする」とウェートトレなど基礎体力向上を意識している。最短で3年後にドラフト指名が解禁。父・竜也さん(45)は光星学院(当時)→東北福祉大と進んで中日入りした。「次に目指すのはプロ。(プロで)すぐに活躍できるような実力をつけていきたい」と意欲を語った洗平。社会人トップクラスの投手へ成長を遂げ、目指すは親子鷹でのプロ入りだ。(有吉 広紀)

 ◆洗平 比呂(あらいだい・ひろ)2006年12月18日、千葉県生まれ。18歳。御滝中では佐倉シニアに所属。八戸学院光星では1年春から公式戦でベンチ入り。1、2年夏と3年春の3度甲子園で登板。直球の最速は147キロ。178センチ、80キロ。左投左打。

 岡本は4年間でもっと実力をつけてプロの世界に進む。プロ志望届を出したが10月のドラフト会議で指名されず、東日本国際大進学を決めた岡本は「どれだけ評価されているか知りたかった。まだ未熟だと分かったし、大学経由で(プロに)行きたい」と力強く宣言。国際大について「毎年のように全国大会に出ている。高校で日本一になれなかったので大学でなりたい」と話した。

 昨夏、今春と2度甲子園に出場。「(洗平)比呂が(1年夏に)投げていて、より一層甲子園に出たい思いが強くなった」と、同学年の“ライバル”に刺激を受けて練習に励んできた。洗平や森田智晴らと競い合った3年間を振り返り、「投手陣のみんながいたから成長できた」と感謝。直球の最速は入学時の128キロから、洗平より1キロ速い148キロをマーク。光星だからここまで力を伸ばせた。

 プロ入りを目指す大学での4年間に向けて、岡本は「自分でメニューを考えたり自覚を持ってやりたい。長所や短所を理解して、先輩たちからいろんなことを聞きながらやっていきたい」と語った。全国のマウンドに何度も立ってアピールし、4年後のドラフトでは必ず名前を呼ばれるくらいの存在になってみせる。

 ◆岡本 琉奨(おかもと・るい)2007年2月12日、東京都生まれ。17歳。板橋二中では板橋シニアに所属。八戸学院光星では2年春から公式戦でベンチ入り。2年夏と3年春の2度甲子園で登板。直球の最速は148キロ。175センチ、85キロ。左投左打。

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