荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」、松田聖子の「裸足の季節」、アン・ルイスの「六本木心中」、キャンディーズの「年下の男の子」…。数々の名曲の振り付けを担当したのが、宮城・石巻市出身の振付師・三浦亨さん(78)だ。この道50年以上のレジェンドが、自身の歴史や、誰もがマネしたくなるキャッチーな振りのルーツ、振り付けへの思いなどを熱く語ってくれた。(取材・構成=秋元 萌佳)
数百曲以上の振り付けを手掛けてきた三浦さんは、石巻高から日大芸術学部演劇学科への入学を機に上京。当時流行していた米ミュージカル映画の「ウエスト・サイド物語」を見て「これから役者は絶対踊りもやらないといけない」とダンスを始めた。「メインは演劇と思っていたけれど、方言がきついから何か所も直されて。踊りの方が好きになって、ジャズダンスをやった。遊ぶのが好きだったからしょっちゅうディスコにも行ってました」とダンスの魅力に引きつけられていった。
実は「踊るのが下手だったんで」と苦手意識も持っていた。さらに、当時は男女のペアで踊るダンスも多かったため「背が小さくてヒールを履いた相手と合わない」と徐々に裏方の道も模索。テレビの歌番組のダンサーをする中で、郷ひろみやキャンディーズの振付師だった西条満さんと出会い、アシスタントとして活動したのが振付師としての始まりだった。
1973年、天地真理の「恋する夏の日」をスタートに、名だたるアイドルやアーティストの振り付けを担当した。数々の曲を振り付けた中でも思い出すのは中森明菜の「十戒」。「発破かけたげる」の歌詞に合わせた手を振る振り付けについて「似ている動きがあるからと渋っていたけれど、『これは往復ビンタだ』と説明したら納得してくれた」と話し合いながら作り上げた思い出がある。
また、松田聖子のデビュー曲「裸足の季節」では「振り付けない振り付けだった」と明かす。松田が多忙だったことで時間が取れず「振り付けしたのは『エクボ』のところだけ。CMがあったからそれだけやろうと(笑)。あとは自分でできたからね」と信頼関係の上でそぎ落とした振り付けをしたこともあった。
ミラーボールの下で踊り明かした「遊び」の経験も生きている。荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」は「俺が遊んでいたころのアメリカの人たちってスタンドマイクで歌っていた」と影響を受けた。「当時はキャッチーなんて言葉ははやってなかったから。遊んでるやつが、遊んで振りを作ったらどうだろうという思いでしたね」
三浦さんの振り付けは、マネしたくなるようなキャッチーな振り付けが味だ。「僕たちは歌詞を気持ち良く歌えるために動きをつけてあげているんだと、助ける気持ちで作っています」と思いを語る。現在は「YOSAKOIソーラン祭り」や町おこしイベントなどにも関わる。今後は地元に戻っての活動も考えており「何でもいいからみんなで遊べるようなことをしたいんだよね。宮城ってもっと元気になれると思う。仙台すずめ踊りをもっと発展させたりとか。もう80歳になる自分がそう思うんだから、若い人たちがもっとそういうことを考えられるような手伝いをしたい」。遊び心満載のレジェンドは、まだまだ現役で走り続ける。
◆三浦 亨(みうら・とおる)1946年2月9日、宮城・石巻市生まれ。78歳。石巻高、日大芸術学部演劇学科卒。1970年頃から多数の歌手の振り付けや、「レッツゴーヤング」(NHK)、「夕やけニャンニャン」「クイズ! ヘキサゴン2」(フジテレビ系)など音楽番組やバラエティー番組のダンス指導を手掛けた。