第101回箱根駅伝(来年1月2、3日)で3年連続53回目の出場となる大東大の登録メンバー以外の選手が21日、東京・町田市の法大多摩校地陸上競技場で行われた法大競技会に参加した。前々回は2区、前回は8区で2年連続で区間最下位に終わり、今回は16人の登録メンバーから外れたピーター・ワンジル(4年)が男子1万メートル第5組で1位となり「最後のレース」で有終の美を飾った。
ワンジルは約9000メートルまで下級生のペースメーカーを務め、残り約1000メートルからスパート。首を振る独特のフォームで懸命に走り、29分23秒74でゴールした。「きょうが私の最後のレースでした。4人の後輩が自己ベスト記録を出してくれて、うれしいです」とワンジルは爽やかな笑顔で話した。宮城・仙台育英高時代からの恩師の真名子圭(きよし)監督(46)は「(10日に)登録メンバーを外れた後もピーターは一生懸命に練習を続けています。卒業後は競技を続行しないのに最後までチームの一員として頑張っています。きょうも後輩のために絶好のペースでレースを引っ張ってくれた。立派です」とワンジルの魂の走りに最大限の賛辞を送った。
多くの苦難と少しの歓喜。ワンジルにとって波乱万丈の4年間だった。
ケニア出身のワンジルは2015年に来日し、宮城・仙台育英高に入学。卒業後、実業団のコモディイイダで約3年間、競技を続けた後、21年4月に大東大の駅伝チーム初のケニア人留学生として大きな期待を背負って入学した。しかし、同年6月の全日本大学駅伝関東地区選考会、同10月の箱根駅伝予選会で、いずれもチーム最下位と大ブレーキを喫した。
悩めるワンジルを復活に導いたのが、高校時代の恩師、真名子監督だった。22年春、当時、3年連続で予選会で敗退していた大東大の復活の切り札として、19年に全国高校駅伝で仙台育英高を優勝に導いた大東大OBの真名子監督が就任した。ワンジルにとって真名子監督の指導を受けるのは4年ぶり。真名子監督の就任からわずか2か月後、5000メートルで6年ぶりに自己ベストを更新した。2年時の予選会では個人ハーフマラソンで全体5位、チームトップで大東大の1位通過と4年ぶりの復活出場の立役者となった。予選会直後の全日本大学駅伝では1区で区間賞を獲得した。
しかし、その後、再び、苦難が続いた。2年時の箱根駅伝では花の2区を担ったが、区間最下位(20位)に終わった。3年時は8区を駆けたが、やはり、区間最下位(23位)に沈んだ。そして、4年目の箱根駅伝では登録メンバーから外れ、箱根路でリベンジを果たすことはかなわなくなった。
真名子監督は「ピーターは箱根駅伝のブレーキが目立ってしまっていますが、2年前の予選会ではピーターが頑張ってくれたから箱根駅伝に復活出場できた。練習に対する姿勢は真面目で、チームにとても良い影響を与えてくれました」と力説する。その上で「今回の箱根駅伝で公平にメンバー選考した時、ピーターを入れることはできなかった。登録メンバーから落選したことをピーターは正面から受け止めていました」と明かした。ワンジルは「箱根駅伝に出場するチームメートは頑張ってほしい。私は一生懸命にサポートします」と前向きに話した。
現在、25歳のワンジルは卒業を機に引退することを決断した。しかし、卒業後の進路は未定で、現在も就職活動中。「進路について、二つ、考えています。一つは女子の実業団チームでランニングコーチをしてみたい。もう一つは、どのような仕事でもします。日本で働きたいです」とワンジルは話す。真名子監督は「大学4年間で人間的に大きく成長しました。日本のマナーも理解しています。ピーター・ワンジルに興味をお持ちの企業の方は、ぜひ大東大まで、ご連絡ください」と就職活動中の教え子のために熱くアピールした。
仙台育英高と大東大で計7年。濃密な師弟関係を過ごした2人の絆は強かった。
◆ピーター・ワンジル 1999年7月27日、ケニア生まれ。25歳。エリート中から15年に宮城・仙台育英高に入学。18年に卒業し、コモディイイダへ。21年に大東大国際関係学部に入学。自己ベストは5000メートル13分31秒97、1万メートル28分25秒20、ハーフマラソン1時間2分。158センチ、49キロ。