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「神戸は今も特別な場所」震災から30年…イチロー氏殿堂入り届けた「当時21歳。初めて命について考えさせられた」

スポーツ報知 2025年1月17日 5時0分

 今年の野球殿堂入り通知式が16日、都内の野球殿堂博物館で行われ、プレーヤー表彰ではオリックス、マリナーズなどで日米通算4367安打のイチロー氏(51)が選出された。得票率92・6%で初の満票には及ばなかったものの、競技者表彰で史上7人目となる資格初年度での選出。21日(日本時間22日)の米国野球殿堂発表でも日本人初の選出が確実視され、メジャー歴代最多652セーブのM・リベラ(元ヤンキース)以来、史上2人目の満票選出なるかが注目される。

 現役選手のような引き締まった体をスーツに包み、イチロー氏は登壇した。日本野球を作り上げた先人たちのレリーフを背に「皆さんこんにちは。イチローです」と切り出し、「日本で9年、米国で19年選手生活を過ごした。にもかかわらず日本の殿堂に迎え入れていただき、大変感謝しています」と、伝統の重みをかみ締めるように殿堂入りへの感謝を言葉にした。

 17日で阪神・淡路大震災から30年。「当時21歳。寮で眠っていたんですけれども、初めて命の危機というか、初めて命について考えさせられた時間でした」と回想した。同年、独特の「振り子打法」で安打を重ね、復興のシンボルとして首位打者など打者5冠。「がんばろうKOBE」を掲げた仰木オリックスの中心選手としてリーグ優勝に導き、街に勇気を届けた。「神戸は僕にとって今も特別な場所」と変わらぬ思いを明かした。

 史上初のシーズン200安打、史上最長の7年連続首位打者…。NPB9年で打撃タイトル19冠を置き土産に、01年から日本人で初めて打者としてMLBに挑戦した。パワー全盛の米国でスリムな日本人が圧倒的なスピードと技術を武器に旋風を巻き起こした。1年目から新人王&MVP。04年にはシーズン262安打新記録を樹立した。「多くの人が常識だと思っていることを疑い、大事な決断は自らしてきました。第三者の意見ではなく、感性に基づき行動してきたことは大きな要因の一つだと思います」。日米通算4367安打の原動力は、信念を貫いた結果と強調した。

 低迷するマリナーズで求道者のように安打を重ねていた06年、転機が訪れた。第1回WBC。日の丸を背負った背番号51は、クールなイメージからは想像もつかない熱い男として日本代表を世界一へいざなった。王監督は「練習初日のランニングから全力疾走。その1本目のランニングで“キャプテン”が決まった」と明かす。負ければ悔しがり、感情をあらわにした。原監督が率いた09年大会は不振に苦しんだが、韓国との決勝戦で決勝打。スーパースターが国民的英雄となった。

 18年に一度は選手としてのプレーを断念しながら、19年に復帰。東京ドームで万雷の拍手を浴びて引退した。「ファンの方々が作ってくれたあの瞬間を支えに、引退後も野球に携わって、ここまで野球に対して、プロ野球に対して、未練があったりとか、そういう後ろ向きな気持ちなく、ここまで過ごしてこられました」と爽やかな表情で語った。

 引退後の今もトレーニングに励み、現場で野球に携わる。MLBが7回制を検討するなどルールの変更も進む中、イチロー氏は「さまざまな要因から野球が変わっていっている。せめて子供たちが向き合う野球は純粋なものであってほしい。価値は時代で変わっていく。変えてはいけないものもあると思うんです」と願った。22日(米国時間21日)には日本人初の選出が確実視される米殿堂入りが発表される。満票選出されれば、野手では史上初の快挙。日米を駆け抜けた野球人イチローの大きな節目となる。(西村 國継)

 ◆イチロー(鈴木一朗=すずき・いちろう)1973年10月22日、愛知県生まれ。51歳。愛工大名電から91年ドラフト4位でオリックス入団。94年にプロ野球初のシーズン200安打。ポスティングでマリナーズに移籍した01年に首位打者、新人王、ア・リーグMVP。04年に262安打でメジャーのシーズン最多記録更新。12年7月にヤンキース、15年にマーリンズへ。16年にメジャー最多4256安打を日米通算で上回る。18年マリナーズに復帰し、同年途中でフロントに転身。19年に選手復帰し、3月に東京Dでの開幕2連戦に出場して現役引退。4月にマリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター就任。日米通算4367安打。現役時は180センチ、79キロ、右投左打。

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