プレーヤー表彰では、イチロー氏と並び、中日で通算1002試合登板、407セーブのプロ野球記録を達成した岩瀬仁紀氏(50)が新たに殿堂入りした。
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プロ最多の1002試合登板を誇る岩瀬氏は、引き締まった表情で素直な胸の内を明かした。「24歳でプロに入って、星野監督、山田さんに野球の厳しさを教わった。その後に落合さん、森さんに、抑えに君臨させていただいて今がある」。歴代監督に敬意を表し、頭を下げた。
入団から15年連続50試合登板を達成し、プロ野球最多の407セーブ。華やかなプロ人生も苦難の連続だった。初登板だった99年4月2日の開幕・広島戦では打者3人に3安打を許して1死も奪えず、防御率は無限大。08年の北京五輪では準決勝の韓国戦で李承ヨプに決勝2ランを浴び、殺人予告のような中傷まで浴びた。
「守護神というのは首脳陣、選手、ファンに信頼されて成り立つ。絶対に渡さない気持ちでやっていた」。現役終盤には脱毛症に悩まされ、頭皮をマジックで染めた経験も。酒が飲めず、発散しようのないストレスを和らげるのは、深夜のアニメ観賞ぐらいだった。
一番の思い出に挙げたのは、07年の日本ハムとの日本シリーズ第5戦だ。8回完全の山井の後を継いで、9回を3人で締めくくった。継投完全試合で球団53年ぶりの日本一。「今でもゾクッとするぐらい緊張感が走りますし、ほっとした記憶が残っている」。頂上決戦は通算20試合で防御率0・00。落合監督に「山井もすごいけど、あの重圧を乗り越えた岩瀬はさすが」と言わしめた快投だった。
鋭く曲がるスライダーは「死神の鎌」と恐れられたが、グラウンド外ではオーラを感じさせず、エース・川上のマネジャーと間違えられたこともあった。同じ鳥取市内の施設で自主トレをしてきたイチロー氏との同時受賞。「イチローさんと一緒は運命を感じる。記録をいろいろつくってきたけど、終わってみて初めて、よくこんなにやったなと」。黙々とマウンドに立ち続けた鉄腕が、新たな勲章を手にした。
〇…岩瀬氏とコーチ、監督として接した森繁和氏(70)が労をねぎらった。「04年に落合さんと岩瀬をクローザーに決めて13年間、一緒にやりました。無理やり、こき使った覚えもありませんけど、素晴らしい記録」とたたえた。07年の継投での日本一にも言及。「優勝するゲームでの完全試合はもう見ることはない。まして山井と2人で。思い出をつくってくれた岩瀬が殿堂入りしてくれてうれしい」と感謝した。
◆岩瀬 仁紀(いわせ・ひとき)1974年11月10日、愛知県生まれ。50歳。西尾東から愛知大、NTT東海を経て98年ドラフト2位で中日入団。最優秀中継ぎ投手3度。最多セーブ5度などプロ野球最多の通算407セーブ。プロ野球最多1002登板。2004年アテネ五輪、08年北京五輪日本代表。左投左打。