野球殿堂入り通知式が16日、都内の野球殿堂博物館で行われ、エキスパート表彰で阪神OBの掛布雅之氏が殿堂入りを果たした。掛布氏の阪神入団に携わり、監督と4番打者として接してきた安藤統男氏が祝福のメッセージを寄せた。
カケ、本当におめでとう。1973年の秋、春山さんという知人から「おいっ子の高校生を見てもらえないか」と頼まれて球団に紹介したのが、当時18歳だった掛布雅之。私の背番号9のユニホームを裏返しに着て入団テストを受けた小柄な青年が、殿堂入りとは感慨深い。
入団1年目が、私もコーチ1年目。試合前練習の1時間のうち、50分はノックを浴びせたが、音を上げずに付いてきた。一番びっくりしたのは地肩の強さ。三塁からの送球が一塁手の頭上を越えて、スタンドまで飛び込んだことがあった。大暴投だが、金田正泰監督が身体能力の高さにほれ込んでいたのを覚えている。
キャンプでも夜間に高知・安芸の裏通りや、ハワイ・マウイ島の海岸で黙々と素振りをしていた。最初は「ブーン」だったスイングが「ピュッ」に変わると、キレが出てきた証拠で、音を確認できるように静かな場所を好んでいた。ボールの下寄りをたたいて、スピンをかける技術はもちろんだが、本塁打王を3度も獲得したのは、血のにじむような努力の賜物(たまもの)だ。
私が監督を務めた1982年からの3年間は、全390試合に出場してくれた。メンバー表に書き込むのはいつも4番が最初。オーダーを組む上で、本当にありがたかった。ある時、体調が悪そうで、監督室に呼んで休養を勧めたら「もう峠は過ぎましたから」とサラリと返された。でも後日談で帯状疱疹(ほうしん)に苦しんでいたと知った時は、心身の強さに感服したものだ。
カケが33歳の若さで引退を決断した時、私はヤクルトの作戦コーチを務めていた。関根潤三監督から「池山、広沢の手本で掛布を獲得できないか」と相談された。すぐに電話でオファーをしたら「阪神でユニホームを脱ぎたい」と断られたが、ミスター・タイガースとして正解だったと思う。指導者としても、解説者としても、知識の豊富さに驚かされてきた。これからも球界の発展に貢献してほしい。(スポーツ報知評論家)