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谷亮子さんの次男・晃明が中央学院高合格 息子のために「ウグイス嬢」も務めた元五輪女王の母の顔

スポーツ報知 2025年1月18日 11時34分

 オリックス、巨人で外野手として活躍した谷佳知さんと2000年シドニー、04年アテネ五輪柔道女子48キロ級連覇を含め5大会連続メダルの谷亮子さんの次男・晃明(こうめい)内野手が昨春センバツ4強の強豪・中央学院に合格した。甲子園出場という、兄・佳亮(よしあき)外野手(駒大1年=東京学館浦安)の果たせなかった夢の実現を目指して、今春から新天地で野球に打ち込む決意だ。

 何より、母・亮子さんの感激もひとしおだろう。亮子さんは「合格おめでとうございます、と出ています」と合格の知らせを読んで、改めて喜びをかみしめた。「高校では、素晴らしい監督やコーチのもと、目標に向かって、チームの皆さんと一緒に頑張ってほしい。楽しみにしているし、応援しています」とエールを送る。昨春の甲子園でベスト4に入った中央学院の活気あふれるプレーが目に焼きついているという。我が子も、その一員になれるよう、エールと祈りを送った。

 晃明内野手は中学時代の3年間、浦安リトルシニアでプレーした。主にセカンドだが、投手や外野を任されることも。練習場までは自宅から車で1時間以上かかるが、毎日、泥だらけになりながら白球を追ったが、その送迎を3年間続けた亮子さんの努力もまた、並大抵ではない。球場に息子を送り届けたあとも、父兄としてチームをサポート。対戦する両チームの父兄が時には練習試合などの場内アナウンスを担当することがあり、亮子さんも放送席に座って「5番、セカンド、谷君」とかマイクに向かって言っていたらしい。柔道で全日本選抜体重別選手権は14度、福岡国際は12度、世界選手権は7度優勝し、五輪は1992年バルセロナ、96年アトランタ銀、2000年シドニー、04年アテネ金、08年北京銅と出場全てでメダルを獲得した名選手。11年には国際柔道連盟の史上最優秀女子選手賞を受賞し、13年に世界殿堂入りを果たした柔道界のレジェンドが、野球場では「ウグイス嬢」をつとめて、声で息子のサポートをしていたそうだ。

 亮子さんとは彼女が中3の1990年全日本体重別選手権で3位になった時から取材し、その年の福岡国際では準決勝で当時の世界女王カレン・ブリッグス(英国)を投げ飛ばして初優勝。一躍、世界の舞台に躍り出ると「YAWARAちゃん」というニックネームを授かった。このほど、晃明内野手も取材したが、母を中3で初めて取材した記者が、今度は、中3の息子を取材できる機会がいただけるとは、感激このうえない。「将来はプロになりたい」と、はっきり自分の目標を口にする晃明内野手の力強い声を聞きながら、体が震えた。実は亮子さんが福岡・櫛田神社の奉納柔道大会で5人抜きを演じ、うち2人を病院送りにして、その名を全国に知らしめるきっかけとなったが、晃明内野手も小2の時に、当時プレーしていたアイスホッケーで日本一になった。母子で同じような軌跡をたどっているのは奇跡かな?

 「晃明が小3の時、アストロズのホセ・アルトゥーベ選手のことを見つけて私に教えてくれました。小柄ながら首位打者を3度獲得したとか教えてくれて。その時はまだ体が小さかった晃明がアルトゥーベ選手の姿に魅せられたと思います」と亮子さんは次男がすでに野球の魅力にとりつかれたことを知った。晃明君は知人に頼まれて小3の時から1年ほど、少年野球チームに入ったが、初めて出た公式戦の初打席で本塁打を放った。派手な野球デビューだったのだ。

 高校では寮に入る予定。「色んなことを自分自身でやっていかなければならないのですが、本人は成長していくためと、とても楽しみにしているみたいです。自分でいろいろと経験して、自分で学んでいく。自分は中学、高校と親元で育ってきたので、自分よりも先に巣立っていくわけです。夢は大きい方がいい。夢に向かって頑張ってほしいですね」。晃明内野手が中2の時にプロになりたいという思いを聞いたという。亮子さんの言葉は、これまで取材で聞いた五輪への思いなどとはまた違う、母親の愛情に満ちた、力強さというものがあった。(記者コラム・谷口隆俊)

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