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「初代タイガーマスク」を作り続けて22年…「マスク職人」が明かす「佐山サトル」秘話【下】「夢は佐山先生専属の運転手です」

スポーツ報知 2025年1月20日 12時0分

 初代タイガーマスクの佐山サトル(67)が主宰する「ストロングスタイルプロレス」(SSPW)が今年、旗揚げ20周年を迎える。

 20年の歴史の中で“過激な仕掛け人”新間寿会長(89)を筆頭に“令和の新仕掛け人”平井丈雅代表(60)ら様々なプロレス関係者が佐山の理想を支えてきたが、中でも旗揚げから佐山のマスク「タイガーマスク」を作り続けている「マスク職人」がいる。

 プロレスマスクを製作・販売する「プロレス・マスク・ワールド」(東京・千代田区)を主宰する中村ユキヒロ代表(58)だ。2003年から「初代タイガーマスク」のマスクを作り続けて今年で22年。中村代表がプロレスマスク製作への情熱、佐山への思いなどを明かしてくれた。WEB報知では「マスク職人が明かす『佐山サトル』秘話」として18日から3日連続で連載。最終回は「人間・佐山サトル」

 自らが作ったマスクを佐山が着けた感激。プロレスショップから注文が入り、マスク作りが「仕事」になった。28歳の時、さらに転機があった。95年7月15日、後楽園ホールでデビューした佐山の弟子である4代目タイガーマスクのマスクを作ることになったのだ。そして2003年9月21日、ザ・グレート・サスケ戦で佐山がプロレスへ本格復帰する。この時、マスク作成に際しを4代目が佐山へ中村さんを推薦。佐山も快諾し直接、電話で依頼を受けた。以来、現在に至るまで「タイガーマスク」を手がけている。

 「初代タイガーマスクの復活をきっかけにスポーツジムへの勤務は辞めて、マスク作り専業にしました」

 三重・津市に自身が収集したマスクを展示する博物館「マスクミュージアム」を開業。ここでマスク作りに没頭する。仕事を辞めたのは、初代タイガーマスクへの思い入れだった。

 「僕自身がファンだったから、わかるんですけど、ファンのみなさんは、初代タイガーマスクが登場するとき『今日はどんなマスクなんだろう?』とワクワクさせて待っているんです。だから、僕は試合ごとに違うマスクを作って佐山先生にお渡ししていました。僕は一枚のマスクを作るのに最低で3日かかります。そうすると、仕事をやりながらマスクを作ることができなくなりました。佐山先生に僕が魂を込めたマスクを着けていただきたい思いで専業にしました」

 佐山は、デザインなど注文はないという。

 「先生はアドバイスされる時に『こうしたら、もっといいね』とおっしゃるんです。絶対にダメ出しをされません。それは僕にとって気持ちが前向きになる素晴らしいアドバイスです。ただ、専業でプロになる前はマスク作りに自信はあったんですが、プロの仕事をさせてもらってからは勉強することがいっぱいあって自信は一気に吹っ飛びました。常に作る時は、緊張しますし、自信が不安になりました」

 中村が独自に開発した機能がある。

 「僕は、裏地にメッシュを入れています。これでかぶったときの肌触りと通気性が良くなりました。これは僕が最初に考えたものです」

 採寸はしない。そこには職人の眼があった。

 「普通は、作る時は頭のサイズ、顔のサイズを採寸します。以前は頭のサイズを測っていましたが今の僕はそれをしません。測ると変な感じになるからです。今は、顔を見てサイズがわかります。鼻の大きさ、目の大きさもわかります」

 マスク作成は、簡単に説明すると型紙を取り、布を裁断し縫製する。ただ、使う生地は、多い。初代タイガーマスの場合、黄金のラメ生地、黒模様は、エナメルの黒革、裏地のメッシュなどあごと後頭部を結ぶひもを加えると、10種類に及ぶ。

 こだわりを聞くと「全部です」と即答した。

 「ひとつの模様、ひとつの形も全部に意味があるんです。全てがベストでなければならない。タイガーマスクの出現までは日本人で本格的なマスクマンはいなかったんです。それを最初は、玩具メーカーのポピーさんが作り、その次にOJISAN企画さんが作りました。この世界で『初代タイガーマスク』のマスクを作ることは名前が残ります。僕は今、その歴史を背負っています。そして歴史を守らないといけません。ですから作るのに時間もかかるし、毎回、緊張です」

 2011年からは、拠点を東京に移し現在、水道橋で「プロレス・マスク・ワールド」を運営している。初代タイガーマスクの他にこれまでに獣神サンダー・ライガー、4代目タイガーマスク、ザ・グレート・サスケ、ブラックタイガーら数多くのトップレスラーのマスクを手がけてきた。

 「中学生の時にマスクが欲しい一心だった僕の終着点が自分で作ることでした。プロレスのマスクの魅力は選手のビジュアルを最大限に引き立たせるもの。そして、脱いでしまえば工芸品、美術品としても鑑賞できます。僕は、いつもマスクを『プロレスのマスク』と表現します。それは、他のヒーローモノのマスクとは違うからです。レスラーは命をかけて闘っていますから、そこへのこだわりはあります。僕にオーダーしてくださったレスラーには誰にも負けないマスクを納品したい思いで作っています」

 覆面レスラーの魅力をこう表現した。

 「僕は、作る時に素顔は知っているわけです。だけど、マスクを着けた時のマスク越しの目に魅力を感じます。あれは、何とも言えません。素顔の時と目の表情が一変するんです。一番魅力的なのは、やっぱり佐山先生です。素顔を知っていたとしてもマスク越しの佐山先生の目は、引き込まれます」

 佐山は現在、メニエール病を発症しリングから遠ざかっている。それでも年4回ほど開催するSSPWの会場に姿を見せリング上でファンにあいさつしている。さらに大会に向けた記者会見、イベントなどにも出席する。そのすべてにおいて中村さんは、マスクを新調している。

 「初代タイガーマスクと佐山先生のイメージが常に新鮮でファンの方に人に喜んでもらえるようにと考えて僕がそうさせていただいています」

 佐山から職人として授かった最大の賛辞がある。

 「先生はマスクを着けた時に『かぶっている感じがしない』とおっしゃっていただきます。それは、マスクを作る僕にとって最もうれしい言葉で栄誉でもあります」

 そして、佐山は、中村さんへいつもこんな言葉をかけるという。

 「ユキちゃん、ありがとう」

 出会いから年月がたち、どれほど近い存在になっても謙虚な姿勢は、変わらないという。

 「人間『佐山サトル』はいろんな魅力があります。中でも一番は、威張らないところです。プロレスラーとしても格闘家としてもあれほど、すごいことをやってきているのに『どうだ。すごいだろ』っていう言葉はもちろん、態度は一切ありません。タイガーマスクのファンだった僕は今、人間『佐山サトル』が好きなんです」

 闘病中の佐山は現在、外出時は、車椅子での移動を余儀なくされている。その時、中村さんは常に付け人として帯同している。

 「自分から名乗り出て勝手にやらせていただいています。今の僕があるのは佐山先生のおかげですから恩返しでやらせていただいています」

 これからの夢を聞いた。

 「佐山先生、専属の運転手です。体調がご回復されて、マスク作らせていただいて、先生にいい車に乗っていただきたい。その車を運転するのが今の夢です」

 中村さんの佐山への献身。そこに黄金の輝きがあった。

(敬称略。福留 崇広)

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