【米ニューヨーク州クーパーズタウン=一村順子】米野球殿堂は21日(日本時間22日)、今年の米殿堂入りメンバーを発表し、メジャー通算3089安打を放ったイチロー氏(51)=マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター=がアジア人で初めて選ばれた。16日に日本野球殿堂入りしたのと同様に、有資格1年目での選出。有効投票数394票のうち393票を集め、史上2人目の満票をあと1票で逃したが、得票率99・746%は史上3位。日本人野手初のメジャーリーガーの伝説に新たな1ページが加わった。
焦点とされた満票には“イチ票”足りなかった。それでもイチロー氏はさわやかな表情で心境を語った。それこそ、自らを殿堂入りまで導く矜持(きょうじ)がこもっていた。
「1票足りないっていうのは、すごく良かった。しかもジーターと一緒。自分なりの完璧を追い求めていくのが人生だと思う。(1票足りないのは)また別の話だけど、不完全であるというのはいいな。生きていく上で不完全だから進もうと、改めて考えさせられる、見つめられる、向き合えるというのは良かった」
史上2人目、野手では初の満票という、伝説の最後のページを飾るにふさわしい偉業がスルリとこぼれ落ちても、それを向上の余地と捉えた。ジーターと並ぶ“準満票”。マリナーズ公式Xは「The best of the best.」と記し、同球団OBで同様に3票足りなかったK・グリフィーJr.氏、史上唯一の満票のM・リベラ氏を加え、得票率99%以上の4人を「99%クラブ」として並び立たせた。
「自分が殿堂入りのこの日を迎えるということは、2001年には地球上の誰も想像していなかったのではないか。あまりにも多くのことがあり、当然、いいことばかりではなく苦しいこともあったが、一歩ずつ近づいてこの日を迎えたことは言葉では言い表せない」
感謝を伝えたい人物として、2人の名を挙げた。「まずは妻。ずっと一緒に支えて戦ってきてくれた。(お祝いは)家で妻と一杯お酒を乾杯するくらいだと思います」と99年の結婚からともに歩んできた弓子夫人(59)の内助の功に頭を下げた。そして「たくさんの出会いがありました。その中で大きな影響を受けたのが仰木(彬)監督」。18歳でオリックスでプロの門をたたいた鈴木一朗の才能を見抜き、登録名を「イチロー」として売り出した名将。「その存在がなければ、カタカナのイチローにならなかったと思うし、これだけ人に知られる存在にならなかった」。05年に逝去した天の恩師にもまた思いをはせた。
01年に「覚悟を持って」日本人野手として初めてメジャーに挑戦。懐疑的だったデビュー前の評価を覆すため、一心不乱に自分と向き合って結果を残し続けてきた。知らずのうちに切りひらいた日本人メジャーの挑戦の道。ドジャース・大谷翔平投手(30)を筆頭に“侍”の活躍が目覚ましいが「感覚的にはまだまだ少ない。25年後にこんなに少ないのかっていう感触」と言い切る。「南米系の選手は、どのチームだっている。そこまで到底及んでいない。あまりにも進み方が遅い」。NPBを経験し、今季、米国で戦う日本人選手は、佐々木朗希(ドジャース)らマイナー契約の選手に、中日からポスティングし、所属先未定の小笠原慎之介を入れても全15人。「各チームに少なくとも1~2人いるぐらいになってるんじゃないかと期待していた。全くそこまで届いていない」。後進への厳しくも温かいエールだった。
「(殿堂入りは)選手としての評価、プロ野球選手としての評価は最高。比べるものがないくらい。これ以上はないし、この後はない」。数々の記録を打ち立て続けてきたイチローが、背番号と同じ51歳でプロキャリアの集大成といえる日を迎えた。(西村 國継)
◆イチロー(鈴木一朗=すずき・いちろう)1973年10月22日、愛知県生まれ。51歳。愛工大名電から91年ドラフト4位でオリックス入団。94年にプロ野球初のシーズン200安打。ポスティングでマリナーズに移籍した2001年に首位打者、新人王、ア・リーグMVP。04年に262安打でメジャーのシーズン最多記録更新。12年7月にヤンキース、15年にマーリンズへ。16年にメジャー最多4256安打を日米通算で上回る。18年マリナーズに復帰し、同年途中でフロントに転身。19年に選手復帰し、3月に東京Dでの開幕2連戦に出場して現役引退。4月にマリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター就任。日米通算4367安打。現役時は180センチ、79キロ、右投左打。