【米ニューヨーク州クーパーズタウン】米野球殿堂は21日(日本時間22日)、今年の米殿堂入りメンバーを発表し、メジャー通算3089安打を放ったイチロー氏(51)=マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター=がアジア人で初めて選ばれた。
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―電話で通知された。
「(現地午後)2時15分から待機をしました。これは電話がかかってくることが前提の準備だったので、15分を過ぎても電話が鳴らなかった時に、ないんじゃないかと思って、すごく不安になりました。実際電話がかかってきてその(殿堂入りの)報告を受けて、うれしかった、やったというよりも、ホッとしたという気持ちの方が強かったですね。おそらく喜びはこれから出てくるんじゃないかな」
―どう祝うか。
「今日はお祝いする時間ないと思いますね。家で妻と一杯、お酒を乾杯するくらいだと思います」
―シアトルのファンに報告ができる。
「2001年からプレーしてトレードでニューヨークに行った。その後マイアミに行って、18年にシアトルに戻ってきた。その時に迎え入れてくれた温かい気持ち、18年の開幕戦、ここはもう僕のトップ5に入るぐらいのハイライトでした。人の思いがこんなにも刺さるというか、特別な関係になりましたね」
―現役で最も達成感があったものは。
「いろんな記録があるんですけれど、おそらく多くの人が経験できるものではない時間というふうに捉えると、18年の5月頭から選手としてはプレーができなくなった時間ですね。で、翌年の引退につながる。19年の3月につながるわけですけど、18年5月頭から9月終わり、10月の頭までですね。練習だけの時間を過ごした。次の年を信じて。この時間はなかなか経験できるものではないと。あるプレー、ある記録というものよりも、この経験が僕の支えになっていると言える」
「さらに19年の引退ですね。東京ドームでの、あの時間。僕は引退を(事前に)お知らせしてなかったので。試合が終わって何時間もたっていたにもかかわらず、お客さんが球場にとどまってくれて僕を待っていてくれた。あの瞬間は大きな支えにこれからもなる」
―07年の球宴では史上初のランニング本塁打。
「(フェンスを)越えてくれなかったことがショックだった。でも結果的には、誰もやったことのないことにつながって喜んではいたんですけど。あとは3打席で代わったので、友達も来ていて、予約していたレストランに行きたくて、早く帰ろうとしたんですよ。当時の球宴ってそういったことができたので。帰ろうとしたら、MVPになるかもしれないからダメだってMLBの人に止められて。僕も早く帰りたいから他の人が誰か本塁打かなんか打ってと思ってたんだけど。結果的に取れてよかったなって思い出です。インタビューで私服を着てるのはそういう理由です」
―01年に日本人野手として初めて海を渡った。
「(日本人)野手で初めての挑戦だったっていうこともあって。僕は日本で7年続けて首位打者を取ってのタイミングだったので、アベレージヒッターにとって僕が指標になるというか、基準にされるという認識がありました。野手の評価、日本人の野手の評価は僕の1年目で決まるという思いを背負ってプレーした記憶があります。その後、3年プレーした時にようやく、周りからも、アメリカの方にもある程度認めてもらったというか、そういう感触がありました」
「それから長い時間を経て今日に至るわけですけど、日本人選手として初めての、ということは僕を表現する時に何かと付きまとうものなんですけど、今日の気持ちで言えば、それが何かにつながるとかいうふうには捉えられないです。おそらく時間がたった時に『あれはこういうことだったんだ』と。いろんなことがそうであるように、これもその一つだと思います。時間がたってからでないと、人っていうのは現在起きていることが正しいか間違いかとか、そういう判断が難しいわけですね」