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「必死です、自分の結果出すことに」イチロー氏「日本人選手のために何かが開けるか…そんな余裕なかった」

スポーツ報知 2025年1月23日 5時10分

 【米ニューヨーク州クーパーズタウン=一村順子】米野球殿堂は21日(日本時間22日)、今年の米殿堂入りメンバーを発表し、メジャー通算3089安打を放ったイチロー氏(51)=マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター=がアジア人で初めて選ばれた。

 ―今では大谷ら多くの日本人選手が活躍。

 「僕が何を担ったか分からないですけど、もちろん初めての(日本人)野手としての覚悟を持ってプレーしたことは事実です。でも、日本人選手のために僕がやることで何かが開けるか。そんな余裕なかった。もう必死です、自分の結果出すことに。結果的にそう見えたかもしれないですけど、それは僕から述べることではないと思います」

 ―ヤンキースで学んだことは。

 「特別だったのはジーターがいたヤンキースであったと思うんですよね。音がないクラブハウスは初めてでしたし、プロフェッショナルの意識はこういう集団なんだと教えてもらった」

 ―引退した今でも選手のように球場に行く理由は。

 「コーチという立場ではないけど、技術を見せることができる。それをキープすることで選手が理解することができる。耳で理解するのと目で見て理解するのは違う。元気なうちは続けたいと思っている。できなくなるのはいつなのかを見定めたい。サンプルになると思うので」

 ―51歳。どこまでできるかが想像できているのか。毎年毎年が勝負という選手と同じ気持ちなのか。

 「選手と同じ気持ちかどうか分からないんですけど、もうどこにゴールがあるか分からない。明日潰れるかもしれないし、10年後かもしれないし、その先かもしれないし。今やっていることは、その日の限界を迎えること。これを繰り返しています。繰り返していくことでアスリートの体がどうなっていくのか、それを見てみたい興味が強いんですね。それは単なる一例でしかないですけど、野球選手にとって何かヒントになることがあるんじゃないかということを期待しながら取り組んでいる」

 ―今日も練習したのか。

 「さすがに、今日はできなかったです。昨日はしてます。今、フィジカルの状態が100%じゃないんですね。足2か所、左足に1か所、右上半身に1か所、けががあって、動けないことではないんですけど、全力では動けないんですね。これをどこまで上げていけるのか、キャンプの初日の目標っていうの? 現役の時もそうですけど、最低限、全力で走れること、投げられる(こと)。今もそうなんです。もう1か月しかないから難しい。そこと今、闘ってます」

 ―若い選手にアドバイスがあれば。

 「僕は18歳でプロ野球選手になった時、まずメジャーリーグでプレーするなんてことは想像すらできませんでした。それが、日本でプレーしていくうちに米国でプレーしたいという気持ちが芽生えてくる。徐々に段階を経て進んできた感触がすごくあるんですね。米国に来てからも何年プレーできるかなんて全く分かりませんでした。それが最終的には19年まで続き、今に至ると」

 「才能ある人たちもたくさんいます。僕なんか比較にならないぐらい、才能にあふれた人がいっぱいいます。でも、それを生かすも殺すも自分自身だということですね。自分の能力を生かす能力というのはまた別にあるということは知っておいてほしい。才能があるのに、生かせないという人はいっぱいいます。けがに苦しむ人もいます。自分をどれだけ知っているか、が大きく影響していることを知っておいてマイナスはないと思います」

 ―今後やっていきたいことはあるか。

 「今継続していることは継続したい。新しく取り組んでみたいこと、命を削ってまでやりたいことは見えてこない。それができるのは野球でしかない。別の野球の道を模索していく。そこで自分がエネルギーを注げることを期待しています」

 ―今年で阪神・淡路大震災から30年が経過した。

 「チームが結束するってなかなかないんですよ。春から秋まで、日本シリーズが終わるまで結束できたのはあの年だけ。春はみんな希望を持っている。だけど、シーズンが始まると、当然結果が出てくるわけですから。盛り上がるチームもあれば、勝てないチームは早い段階、モチベーションが下がっていく。なかなか結束できない。それは日本でも米国でも同じです。神戸の変わり果てた街並みを見た時に、自分たちに何ができるんだろうってみんな考えました」

 「気になることを現場に行ってやることもできたと思います。でも、僕たちができるのはやっぱりプロ野球選手としての使命というかね。当時はまだオリックス・ブルーウェーブは優勝したことはなかった。優勝なんて目標を春の段階から掲げてはいけないチームだったんですよ。それが思いが結束して、実際に結果として残った。終わった時に神戸のファンの方々から感謝されました。当初野球なんかやってる場合じゃないという声も、僕らの中にもあったんですけど、野球選手っていうのはこういう普通に生活して、できないことを形にできる職業なんだってすごく実感があって。確かにファンの方々との向き合い方が大きく変わった出来事ではありました」

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