タレントの中居正広が23日、有料ファンクラブサイトを通じて芸能界を引退すると発表した。昨年12月19日発売の週刊誌報道からわずか36日での決断。1987年の芸能界入りからアイドル活動、俳優業、テレビ番組のMCなどで隆盛を極めたスターが、38年間のタレント生活から無念の幕引きとなった。
昨年12月に女性トラブルが報じられるまで、中居の仕事は順調そのものだった。2022年11月から約2か月間、体調不良により休養したものの、復帰以降は精力的に活動。テレビやラジオで6本のレギュラー番組を持ち、大手企業のCMにも複数出演し、お茶の間で見ない日はなかった。
芸能界きっての野球ファン。昨年11月開幕の世界野球「プレミア12」では通算6度目となる侍ジャパン公認サポートキャプテンに就任。監督や選手らを熱心に取材し試合を生中継するなど、騒動発覚の直前までその多岐にわたる活躍ぶりは、健在だった。
順風満帆だったはずの芸能生活に起きた急展開。SNSでは引退発表に「一時代を築いた人がこんなにあっけなく終わってしまうのか」「まさかの展開」などの声が広がった。
中居は、芸能界入りの翌年88年に「SMAP」を結成し、91年「Can’t Stop!!LOVING」でCDデビュー。300万枚超を売り上げた「世界に一つだけの花」(03年)などヒット曲を連発。国民的アイドルグループへと上り詰め、2016年の解散まで高いダンススキルやMC力、強い責任感を持つリーダーとしてけん引した。
軽妙なトーク力と視野の広さで、MC業でも20代から頭角を現した。97年には、NHK紅白歌合戦の白組司会を務めた。当時25歳での抜てきは「史上最年少」と話題を呼び、この記録は現在も更新されていない。以降、紅組と白組の司会を計6度務めた。
バラエティー番組でも、大御所にも臆さない振る舞いや、後輩タレントや芸人への愛ある司会進行で、数々の人気番組のMCを長きにわたって担当。笑福亭鶴瓶、松本人志らと番組でタッグを組むなど、MC界の“顔”となった。スポーツ番組でも、04年アテネ五輪から夏冬8大会連続でTBS系五輪中継のメインキャスターを務めた。
昨年12月19日の週刊誌報道を機に、窮地に陥った。女性との間に起きたトラブルを示談金で解決していたことが明らかとなり、CM降板や出演番組の差し替えなど影響は多方面に及んだ。活動休止を予想する声もあったが、今月9日には公式サイトで「示談が成立したことにより、今後の芸能活動についても支障なく続けられることになりました」とつづった。
最後の肉声は、今月4日放送のニッポン放送の冠番組だった「中居正広 ON&ON AIR」(土曜・後11時)。同番組は収録とみられるものの通常通り放送され、中居は「新年、明けましたあ~!おめでとうございまあ~す!」とテンション高めにあいさつ。「2025年、どんな一年になるんでしょうか。今年もよろしくお願いしまあ~す!」とファンに明るく呼びかけていた。