ロッテからポスティングシステムでドジャースに移籍し、マイナー契約を結んだ佐々木朗希投手(23)が22日(日本時間23日)、本拠地のドジャースタジアムで入団会見を行った。会見前に契約合意が発表され、背番号「11」のユニホームにも袖を通した。約3か月ぶりの取材対応では、23歳での挑戦、ド軍入りの理由など、会見だけで約23分、全て日本語で語り尽くした。
決意を新たにした。本拠地に約200人集まった報道陣の前で、朗希は力強く言い切った。「改めて自分は、ゼロからスタートするのだと、身が引き締まる思いです」。緊張で表情も動きも硬かったが、フリードマン編成本部長やロバーツ監督らにサポートされ初めて背番号11のユニホームに袖を通すと、少しだけ表情が緩んだ。多くの思いが交錯した瞬間だった。
朗希が最後に取材に応じたのは、昨年10月12日のCS第1ステージ初戦の日本ハム戦(エスコン)の試合後。11月17日のファン感謝イベントでスピーチしたことはあったが、23歳の本心はベールに包まれたままだった。「25歳ルール」のためマイナー契約限定で長期契約が結べず、ロッテへの譲渡金も少額になる23歳での移籍。さまざまな声が飛び交う中での決断に「いろいろな意見があるのは重々承知しています」と胸の内を明かした。
早期挑戦に踏み切ったのは、過去の苦い思いがきっかけだった。4球団の競合の末、19年ドラフト1位でロッテ入団。1年目の20年は2軍公式戦すら登板できなかった。当時は右肘の痛みと闘っていたことを明かし「保証はない」と、投げることが当たり前でないことを知った。夢のために金銭面は関係なかった。「お金だったりそういうものよりも、この2年間を(メジャーで)過ごす時間の方が僕にとって価値のあるものだと、そういうふうに判断しました」と迷いなく言った。
20球団以上が獲得意思を示した争奪戦を経てド軍入り。太い軸になったのは「選手として一番成長できる場所」で、「総合的にドジャースが一番よかった」と振り返った。昨オフは大谷と山本を獲得して、今オフはサイ・ヤング賞2度のスネルらを補強したフロントも大きな魅力に挙げ、「一番(の要因)はフロントの安定感かなと思います」と、約6年前から視察を続けてきた球団に感謝した。
大谷、山本の存在は「重要視していなかった」としたが、「日本人を受け入れる環境があるかどうか」には重きを置いた。昨年12月には3人で会食していたことが報じられ、契約が決まった直後には「『ようこそ』みたいな形で連絡をいただきました」と明かした。最終面談にはベッツ、フリーマンらも参加。アットホームな空気感も居心地がよかったようで、ベッツから「もしドジャースに入ったら、アリゾナキャンプでおいしいアイスを食べに行こう」と言われたことが頭に残ったと明かして笑わせた。
現時点ではマイナー契約。次なる目標を「激しい競争を勝ち上がって、メジャーの舞台でプレーすることです」と掲げた。「僕の中では全部足りないと思っています」。まだ23歳で伸びしろは十分。「今は自分が出した結論がベストだと信じて、自分の定めた目標を信じて、自分の可能性を信じてくれる人たちのために前に進んでいきたい」。自ら選んだ道が間違っていなかったことを証明する旅がスタートした。
◆佐々木 朗希(ささき・ろうき)2001年11月3日、岩手・陸前高田市生まれ。23歳。小学3年で野球を始める。大船渡では甲子園出場なしも、3年時の19年にU―18日本代表選出。高校生最速の163キロを記録し「令和の怪物」と呼ばれる。4球団の競合の末に同年ドラフト1位でロッテ入団。22年4月10日のオリックス戦(ZOZO)で最年少での完全試合とプロ野球新の13者連続三振を達成。192センチ、92キロ。