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山口蛍 引退の柿谷曜一朗を語る 印象に残るプレーはゴールより「今どこ使ってトラップしたん?」…独占インタビュー

スポーツ報知 2025年1月23日 19時52分

 神戸より長崎に加入した元日本代表MF山口蛍(34)が23日、引退会見を行ったFW柿谷曜一朗(35)への思いを明かした。ふたりはともにC大阪の下部組織出身。C大阪で計6年間ともにプレーし、日本代表としてもともに13年にデビューし、14年ブラジルW杯にも出場。キャンプ地の沖縄からオンライン取材に応じた山口は、この日の引退会見もインスタライブで見届け「正直、寂しいというか。まだできると、オレは思ってるし。ただ、ああやってしっかり会見っていうのを見てしまうと、現実に本当に引退するんだなっていう気持ちになりましたね」と少し寂しげな表情を浮かべた。

 1学年上の柿谷との出会いは、山口がC大阪のジュニアユースに加入した際。「1番最初に、多分ゲームした時に(会った)。そもそも入る時から、そういう(すごい)選手がいるっていうのは知っていて。1番最初に対戦した時に、本当にすごい衝撃を受けた」。その後は柿谷が飛び級でユース、そして高校1年生でプロ契約と駆け上がったため、一緒にプレーする機会は下部組織では訪れず「本当に雲の上の存在でした」と言う。

 2人がともに試合に出始めたのは、柿谷が徳島への期限付き移籍から復帰した2012年から。ボランチで泥臭いプレーで攻守に貢献する山口と、最前線でゴールを量産する柿谷のコンビは、抜群のコンビネーションでチームを引っ張った。山口の鋭い縦パスを柿谷の超絶トラップでおさめ、ゴールに向かうプレーの数々は、日本代表ザッケローニ監督の目にも留まった。13年の東アジア杯でともに初招集。初戦の中国戦でともに代表デビューを果たすと、柿谷はこの大会3ゴールで得点王、山口はMVPに選ばれた。

 「本当に感覚の合う選手って、僕が一緒にやってきた中で、2、3人ぐらいしかいなくて」と柿谷をそのひとりに挙げた山口。その感覚は「話すのは難しい」と言いながらも、精いっぱいの言葉で表現した。

 「僕と曜一朗くんだと、プレーも対極。守備的な選手と攻撃の選手、テクニックがある選手とない選手みたいに、はっきり分かれてしまうと思うんですけど。全部が対極の選手で、それこそキヨくん(清武)であったり、イニエスタであったりとか。正直、自分がこれを言うのはおこがましい気はするんですけど、その3人は肌感覚が合うというか、もう正直何も話さず、コミュニケーション取ってなくても、ここにいるやろうなとか、こうしてほしいやろうなとかっていうのが、本当に感覚で合う選手だったので。曜一朗くんに関しても、その感覚でやらせてもらっていました」

 ただ同じピッチに立つだけで、理解し合える存在。その中で「雑なボールっていうか丁寧じゃないようなボールでも、やっぱり(柿谷は)簡単に止めてしまったりとか、(パス)返してくれたりっていうのがあった。そこはすごく合わせてくれてたんだなとは思います。僕らが初めて日本代表に行った時も、その時に一緒にプレーしていなければ、おそらく(自分は)代表に入ることはなかったんじゃないかな、っていうぐらい。自分のプレーの幅も広げてくれたと思います」と感謝の言葉を続けた。

 ともに欧州移籍を経て、16年(山口はシーズン途中)に当時J2のC大阪に復帰。負傷を抱える柿谷が必死にプレーする中で、プレーオフの末に果たしたJ1昇格は「すごく思い出に残っています」と語る。数々のスーパーゴールも見届けてきたが、思い出すのは日々の練習で見せてきたテクニックの数々だという。

 「結構、練習中とかでも、意味不明なトラップをしたりとか、しょっちゅうありました。いや、今どこ使ってトラップしたん、とか。そこを使って止めれるん?その体勢でトラップできる? みたいなとか。トラップもそうやし、ターンも究極に速かったから」

 そんな柿谷を表す言葉を、山口は「自由」と表現した。「もちろん天才ではあると思うんですけど、自由かな。サッカーをやっていても、自由にサッカーしてるし。もちろん普段のプライベートでも長く、付き合ってきたので。本当に自由気ままに、過ごしていた思いがあるんで。サッカーもプライベートも、自由にやってたなとは思いますね」

 引退に際しては、発表前に本人から連絡を受けた。「色々な感情がその瞬間は入り混じって。どう声かけていいんかなっていうのはちょっとありましたね。でも少し話しをして、お疲れさまでしたっていうのはその時に言いましたけど、まだもうちょっとやってほしかったです、っていうのも言いました」と惜しんだ。

 最後にあこがれ続けた先輩に対して、素直な思いをメッセージに乗せた。

 「19年間お疲れさまっていうのと、本当に自分が試合に出だした時だったり、代表に選ばれ出した時も、やっぱり一緒にいた存在なんで、本当にすごくいろんなところで助けてくれたと思うんで、そこは本当に感謝しています。曜一朗くんの気遣いがあったからこそ、今の少し大人になった自分もあるとは思うんで、本当にそこは感謝しかないです。アキレス腱が痛かった、っていうのは会見でも言っていて、僕も知っていたんですけど。これから引退して、アキレス腱ってなかなか治らないんですけど、それでもサッカーをやってなかったら良くなっていくとは思うんで、とりあえず本当にまず体を休めて。子供たちとの時間も多分多くできるだろうし。偶然会った時にも、やっぱりすごくいいパパしてるなっていう風に思いますし。子供たちとこれからの時間過ごして。また次、何をするかっていうのはわからないですけど、次の人生がすごくいいものであることを願っています。そして、またどこかで会えるのを楽しみにしてます。お疲れ様でした」

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