元日本代表FW柿谷曜一朗(35)が23日、古巣C大阪の本拠地・ヨドコウ桜スタジアムで引退会見を行った。「ジーニアス(天才)」の愛称で親しまれたストライカーは「天才と言われるのが嫌だった」と明かし、「この年まで続けてこれたのは、びっくり。後悔は全くない」とすがすがしい表情を見せた。
C大阪の下部組織から16歳でJデビュー。06年に同期入団した1学年上のMF香川真司(35)とは、14年ブラジルW杯でともに日の丸を背負った。柿谷は「(引退表明後に)真司くんが『いいライバルだった』と、足元にも及ばないのに言ってくれて、うれしかった」。C大阪のファン、関係者にも感謝し、大粒の涙を流した。
森島寛晃社長(52)から始まり、香川、清武弘嗣、柿谷、乾貴士が背負ったC大阪のエースナンバー8。「簡単につけられる番号じゃない。この先、僕たち4人(そして)森島さんの影すら薄くなるくらいすごいやつが8番つけて、セレッソで愛されることが僕の願い」と若手に期待した。
花束を贈呈した森島社長は「いつもワクワクさせてくれた。サッカー界からいなくなるのは寂しい」と目目頭を熱くした。柿谷は指導者や解説者の道には進まず、「新しい事に挑戦したい。サッカーの文化人として幅広く活動できたら」と第二の人生を思い描いた。(森脇 瑠香)
◇柿谷に聞く
―一番記憶に残っているゴールは。
「プロ初ゴールをセレッソで決めた時は今でも鮮明に覚えている(J2時代の07年4月28日ホーム群馬戦)。普通のゴール。でも一番、印象に残っている」
―引退に家族の反応は。
「『パパ、サッカーやめるねん』と言ったら大喜びして、やったー、イェーイって。ずっと家にいてくれるってこと?と。それ言われて(今まで)ごめんって気持ちに。たくさん家族の時間も、つくってあげられるし、子供はすごく喜んでいる」
―引退試合のプランは。
「めちゃくちゃ考えてます。ヨドコウで大阪ダービーをやりたい。ガンバのユニホームをピンクにして、セレッソのボランチにヤットさん(元日本代表MF遠藤保仁)を入れる(笑)」
◆柿谷曜一朗(かきたに・よういちろう) 1990年1月3日、大阪府生まれ。35歳。4歳からC大阪下部組織でサッカーを始め、クラブ最年少16歳でトップ昇格。09~11年はJ2徳島に期限付き移籍。12年にC大阪復帰。14年夏から15年冬までスイス1部バーゼル在籍。16年、C大阪に復帰し、17年にルヴァン杯、天皇杯2冠に貢献。21年に名古屋移籍。23年にJ2徳島へ移籍、昨季限り退団。利き足は右。J1通算238試合52得点。国際Aマッチ18試合5得点。176センチ、68キロ。妻はタレントの丸高愛実。