V9を筆頭とする巨人の栄光時代は、強大なライバルの存在なくしては語れない。スポーツ報知では「巨人が恐れた男たち」と題し、熾烈(しれつ)な戦いを繰り広げてきた名選手のインタビューを毎月掲載する。第1回は元大洋の平松政次さん(77)。代名詞の「カミソリシュート」を武器に巨人戦歴代2位の51勝を挙げ、あの長嶋茂雄を最も苦しめた投手の一人だ。レジェンド右腕が、野球人生の「喜怒哀楽」を語った。(取材・構成=太田 倫、湯浅 佳典)
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大洋に入った理由のひとつに、憧れの長嶋さんと勝負できる環境もあった。V9時代の巨人のラインアップを思い出す。柴田勲さん、土井正三さん、ON、森昌彦さん…役者がそろっていた。だが、私は思っていた。長嶋さんを抑えるしかない、それが勝つ秘けつなんだ、と。
プロ2年目、長嶋さんのバットに目を覚まされた。5月9日の川崎球場でのゲームで特大の一発を食らった。肩口からの甘いカーブ。新聞には最上段と書かれたが、私の目には場外弾だ。通算374本のホームランを浴びたが、あれほど記憶に残る一発はない。ファンだろうが何だろうが、甘い考えなら打たれる。プロの厳しさを突きつけられた。
長嶋さんが打つと、チームもファンもうわっと盛り上がる。王さんにはよく打たれたものだが、ミスターには一生懸命に投げて、オレには手を抜いたのかと王さんに思われても仕方ないくらい、長嶋さんに神経もパワーも使った。
巨人戦で登板するときは、3日も前からピリピリしていた。前日はほとんど眠れない。1番から配球を考えてシミュレーションすると、ONのところでピタリと進まなくなる。考えて考えて、そのうちに朝が来る。ほかのチームを相手にそんなに悩んだことはない。
だからといって、巨人相手の51勝がうれしいか、と言われると、そんなこともない。歴代1位の金田さんの65勝を超えていても、同じだったと思う。この1試合、この1球の勝負の積み重ね。それだけなんだ。
正直に言えば、プロになってからも巨人への思いは残っていた。ONをバックに投げてみたかった。69年に初めて球宴に出た。第2戦の甲子園。終盤にリリーフで出番をもらった。
マウンドにONが近づいてきた。長嶋さんが激励の言葉とともに、ボールを手渡してくれた。この光景を、ずっと夢見ていたんだよなあ…。そう思いながら、私はプレートを踏んだ。
◆平松 政次(ひらまつ・まさじ)1947年9月19日、岡山県生まれ。77歳。岡山東商時代は65年のセンバツで4戦連続完封をマークし優勝。日本石油(現ENEOS)を経て、66年ドラフト2位で大洋(現DeNA)入団。70年に最多勝と沢村賞を受賞。71年は2年連続最多勝を獲得した。83年の200勝達成時の相手は巨人。翌84年限りで引退した。通算201勝196敗16セーブ、防御率3・31。引退後はフジテレビ系「プロ野球ニュース」の解説などで活躍。17年に野球殿堂入り。右投右打。
◆取材後記 年上仙さん怒鳴りつけ現役時代は武闘派も…にこやか神対応に感謝
なんとも間の抜けた話だ。平松さんにカミソリシュートの握りを見せてもらおうと、ボール持参で取材へ。しかし、肝心の写真撮影を忘れてしまったのだ。
「話が面白くて、つい…」などという言い訳は、自分が上司なら許さない。解散してからすぐに、取材場所からほど近くにあるご自宅を訪ねて、撮影させてもらった。再度着替えて「この写真がないとね。サインもしようか?」のサービス精神。平身低頭しかない。
にこやかな姿から想像しがたい武闘派の一面があった。あの星野仙一さんにも遠慮しない。札幌での中日戦。メンバー外だったはずの星野さんが、ベンチから激しいヤジを飛ばしてきた。歩み寄った平松さんは「コラァ、仙! 出てこい! 打席に立て!」とどなりつけた。ちなみに星野さんは同郷で1学年上である。「戦っている者同士、先輩も後輩もない」。この激しい闘争心が、カミソリを最高の切れ味に磨き上げた。(野球デスク・太田 倫)