◆「ジャイアント馬場没25年追善~太陽ケア引退試合~木原文人リングアナデビュー35周年記念大会」(31日、後楽園ホール)
1999年1月31日に61歳で亡くなった不世出のプロレスラー、ジャイアント馬場さんの偉業をしのぶ「没25年追善~太陽ケア引退試合~木原文人リングアナデビュー35周年記念大会」が31日、後楽園ホールで開催された。
今大会の主催は「木原文人リングアナデビュー35周年大会実行委員会」。全日本プロレスの和田京平名誉レフェリーが実行委員長を務めた追善興行は、立ち見を含む前売り券が全席完売し当日券の販売なしの人気となった。
第4試合でステージ4の食道がんで闘病中で欠場した西村修の代わりに緊急参戦した藤波辰爾が登場。「大隅興業 PRESENTS 頑張れ!西村修!!」と銘打った試合で藤波は、越中詩郎、新崎人生と組んで長井満也、井上雅央、土方隆司、with 藤原喜明と対戦した。
緊急参戦は試合前日の30日に発表された。藤波は「思い返せば、多くの方がご存知の通り、過去、私と西村選手との間で大きな出来事がありました。当時その問題が、関係者、そして私の家族にまで影響が及んだことに、大きな憤りを覚え、西村選手との関係に一区切りをつけ、その件に関して、私自身一切黙することとしました。今回、大会実行委員会から西村選手の現在の状況、そして大会の欠場の旨を伺い、そして参戦のオファーを頂きました。今回のオファーに対し、西村選手の1日も早い回復への願いを込め、リングに上がります」とメッセージを寄せていた。
過去の恩しゅう超えた藤波の参戦に札止めのホールは、テーマソング「RISING」で入場すると札止めのホールが「ドラゴンコール」の大合唱で包まれた。馬場さんとは1970年に入門した日本プロレス時代にお世話になった。私生活のいざこざも「すべてをリングにぶつけろ」と訴えていた師匠のアントニオ猪木さんの教えを実践した「代打」参戦。「BI」の思いを背負ったリビングレジェンドは、ドラゴンスクリューからドラゴンスリーパーで井上を捕獲。一度はカットされたが再びドラゴンスリーパーで絞り上げるとギブアップを奪った。
バックステージで藤波は「まだ若い彼がもう1回リングに上がってこられるように…そういう祈りを込めて上がりました」と緊急参戦への思いを打ち明けた。さらに「僕と彼の間には誰しもが入ってこれないそういう仲で…」と切り出すと「でまだ若いんだし頑張ってリングに上がって来い!それだけです」と西村へメッセージを送ると、控室に入った。