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【センバツ】「甲子園史上最高の二塁手」町田友潤さんが母校・常葉大菊川にエール「ぜひ5勝(優勝)して」

スポーツ報知 2025年2月1日 6時55分

 3月18日開幕のセンバツ高校野球大会に常葉大菊川が2年ぶりに出場する。2007年大会の全国Vメンバーで「甲子園史上最高の二塁手」として名をはせた町田友潤(ともひろ)さん(34)がこのほど、しずおか報知のインタビューに応じた。甲子園に4季連続出場した名選手が、母校への思いと野球振興に励む今を語った。

(取材・構成=伊藤 明日香)

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 センバツ切符を手にした後輩たちは、自身が甲子園で活躍した07、08年に生まれた選手がほとんどだ。母校を祝福しながら18年前の記憶をたどった。

 「おめでとうという気持ちが強いです。自分が印象に残っている大会は、最初に出て優勝したセンバツ。あっという間で、決勝で勝った時は、優勝というより目の前の試合に勝っただけって感じでしたね」

 2年生だった07年春の日本一は、1学年上で現在チームを率いる石岡諒哉監督(35)と経験。3年夏は準V。大舞台でしか得られない経験を積んだからこそ後輩にエールを送った。

 「春で終わりじゃないので1試合ずつ戦って成長してほしいです。今も交流がある石岡さんには、監督として甲子園初勝利だけで終わらずに、ぜひ5勝(優勝)してほしいですね」

 最終学年で迎えた08年夏は再三、華麗な守備を披露した。大阪桐蔭との決勝(0●17)では「セカンドに打ってしまえば望みはありません」との名実況が生まれ、「甲子園史上最高の二塁手」と評された。

 「自分ではそうは思ってないんです。その年のセカンドだったら、同学年の松本幸一郎さん(当時横浜、現・東芝)、大阪桐蔭の森川真雄さんの方がうまいと思っています」

 まだ23歳だった13年、社会人野球のヤマハで現役引退。17年に児童福祉事業を行う「グリーピース」を立ちあげ、現在は浜松市で5つの事業所を経営する。センバツ優勝当時の経験が第2の人生につながった。

 「優勝報告会の帰りに、知的障害を持つ男の子とお母さんから『励みになりました』と言われた。プレーしているだけなのに、こういう人たちへの貢献につながるんだなと。ヤマハの時に、引退したら直接、貢献できたらと思っていました」

 今回の取材場所は事業所の応接室。菊川時代のプレー写真がプリントされたキャンバスが飾られていて、高校生活を懐かしんだ。

 「最初は守備が苦手でした。1年秋にレギュラーになったのですが、その冬にやり込んだことがつながったのかな。朝に遊撃手の先輩と2人で3時間、ノックを受けてから全体練習に参加してました」

 放課後デイサービスでは、特別支援学校に通う小学生から高校生までを預かり、児童発達支援では未就学児の生活自立支援を行う。また、23年に自身が監督を務める草野球チーム「Dignitys」を創設。指名打者として出場することもある。定期的に県内の小・中学生チームに野球教室を開き、地域の野球振興につながる取り組みもしている。

 「長らく野球をする機会はなかったのですが、高校の同級生だった野島(大介)を含めて3人で始めました。仲間を元気づけるためでしたが、野球界にお世話になった分、地域貢献もしたいと思いました。『動画でプレーを見ました』と言ってくれる子もいて、うれしいですね」

 日本未来スポーツ振興協会にも所属。ひとり親家庭・児童養護施設、障害のある子どもに用具を無償提供する活動に携わる。

 「まず本業を第一にした上で、静岡の野球に貢献したい。今後、自分たちの草野球チーム主催で大会を開いたり、少年野球の大会も開催したい。プロ野球選手を呼ぶイベントもできたらいいなと思っています」

 ◆町田さんと甲子園 2年春から4季連続出場。いずれも背番号4で、打順は2年時が2番、3年時は3番。初の甲子園となった2年春は、大垣日大との決勝で初回にソロアーチ。チームにとって通算7試合目での甲子園1号となり、県勢29年ぶりの優勝に貢献。同年夏は4強、3年春は3回戦敗退。準優勝した3年夏は大会5試合で無失策だった。

 ◆町田 友潤(まちだ・ともひろ)1990年6月21日、沼津市生まれ。34歳。静浦ソフトボールクラブ、三島シニアを経て、常葉菊川(現常葉大菊川)に入学。進学した早大では1年時に中退。社会人野球のヤマハに入社。現在は「グリーピース」の運営に携わる。独身。血液型A。

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