テレビ朝日系「有吉クイズ」(午後11時40分)が2日深夜に放送され、タレントの若槻千夏が出演。ブレイク時の苦労話を語った。
若槻は2001年にウド鈴木の妹オーディションをきっかけに芸能界入り。03年にはバラエティーで大ブレイクした。当時を「所属タレントが私しかいない事務所だったので、運良く売れたときに1日8本くらい仕事をしてて」と回想。「ウエストランド」の井口浩之は「一番グラビアとかで僕らが見てた世代で、全盛期すごかった」と話すと「グラビアって表紙になるとすごい売れてる感あるじゃないですか。あれ、宣伝期間なのでギャラはほとんどもらえない」と衝撃の事実を暴露した。
ブレイク中は雑誌の撮影だけでなく、バラエティーのレギュラー番組を1日で3本撮りすることや取材など2年間1日も休みがない生活が続いたという。若槻は「あ、だめだ。このまま働いてたら疲れちゃうと思って。休むって言ったらちょっとずつ仕事を入れられちゃう」と考え、「国を出なきゃ」と海外に行くことを決断。「国を出る方法を考えて、当時から古着が好きだったので『古着のバイヤーになります!』と宣言させてもらって海外に」と約10年間の活動休止期間のスタートを振り返った。
その後はアパレルなどの事業を成功させたが「(日本に)帰ってきて、テレビを見てめちゃくちゃ出たいなという気持ちになった」と芸能界への思いは捨て切れていなかったという。どう復帰しようかと考えていたときに、自身が作ったキャラクター「クマタン」の密着テレビ取材のオファーが舞い込むと「あれ?若槻もう一回テレビに出るのかな?」という空気になり、有吉がパーソナリティーを務めるラジオからオファーが届いたと明かした。
ラジオ出演の経緯を「いまだに、みんなにあのラジオの話をされるんですけど『復帰しようかしないかわからない、どんなかんじなんだろうな』ってときにディレクターさんが呼んでくれて…」と説明するも「行ったらクソラジオ。オール下ネタ。復帰してないのにずっと下ネタ言わされて」とチクリ。井口は「(若槻が)いないときから言ってたからな」と苦笑いを浮かべた。
しかし「でもそれで、有吉さんがいじってくれる。『まだこの人いじっていいんだ』って周りが私の扱い方をなんとなく再認識してくれて。ちょいちょい呼ばれてテレビに」と話し「嫌だったけどありがたかった」と感謝していた。