元阪神の名遊撃手で、監督として1985年に日本一に導いた吉田義男さん(享年91)の訃報に4日、関係者が哀悼の意を示した。4番として球団初の日本一に貢献した掛布雅之さん(69)=スポーツ報知評論家=らが故人をしのんだ。
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自分の野球人生に、ぽっかりと大きな穴が開いてしまった感じだ。今年1月、殿堂入りが決まった時、ゲストスピーカーをお願いしようと関係者に連絡を取ると「年末から入院しているから無理です」と。心配していたが、まさかこんなに急とは。昨年11月末のOB会では「OB会長を頑張りなさいよ」と激励していただいたばかりだったのに。
私は入団2年目に、就任1年目の吉田監督に三塁のレギュラーにしてもらった。吉田さんは当時40歳を過ぎていたけど、現役選手より守備がうまかった。打球に対して攻撃的に向かいながら、ボールの勢いを殺すグラブさばきは美しかった。身ぶり手ぶりで教えてくれて、理想の形を目で覚えさせてくれた。その財産があったから、4番を任された後も三塁の守備を大切にすることができた。
「野球の攻撃は守りにある」というのが吉田野球。結実したのが1985年の日本一だった。200発打線の攻撃力が目立ったが、どこよりも守れるチームでもあった。日本一になった後、「ウチには日本一の4番バッターがいる」と言ってもらえたのは、最高の名誉でうれしい言葉だった。当時は我々を大人扱いしてくれて、門限もなしだった。今考えると、最も厳しい監督だったのかもしれない。怒られたり、罰金を取られる方が楽。自由だからこそ責任感が芽生えた。
殿堂入りの報告を直接することは、かなわなかったが、少しは恩返しできたかもしれない。本当にありがとうございました。(スポーツ報知評論家・掛布雅之)