歌手の松任谷由実(71)が5日、新潟・湯沢町の苗場プリンスホテル内のイベントホールで恒例のリゾートライブ「SURF&SNOW in Naeba」(全8公演)の初日公演を行った。45回目の節目の苗場。今秋には40作目のオリジナルをリリースし、72歳を迎える来年にかけて72公演の全国ホールツアーを行うことも明らかに。さらに精力的に活動していくことを誓った。
今秋のアルバムリリースに寄せて、ユーミンの夫でプロデューサーの松任谷正隆氏がコメントを寄せた。
【我々の求めているもの】
あれはほんの4―5年前のことでしょうか。スタッフが倉庫から未発表曲の入ったマルチテープを持ってきたことから始まりました。50年も続けていれば未発表曲もそれなりにあります。その曲はどうやら70年代の終わりか、80年代初めのものらしいことが、スタジオのデータとかミュージシャンの声から分かりました。ところが作曲した由実さんも、編曲した僕自身もほぼ記憶にない。確かに由実さんらしい曲だし、僕らしい音なので、それは間違いないのだけれど、こんな曲あったっけ…なんてみんなで顔を見合わせたのを覚えています。
聴いているうちに、この70年代だか80年代の音が妙に新鮮で、現代では絶対に再現出来ないことが肌で感じられてきました。
しかも「ラララ」で仮歌を歌っている由実さんの声もずいぶん若くて高い。このオケは使いたくてもキーが高くて今では無理、再び倉庫行きか、なんて諦めかけていた頃、某国立大学に、声をサンプリングしてメロディにする研究をするチームがあることを知りました。AIなどという言葉が今みたいに普通ではない時代だったので(たった数年前のことなのに!)、それがどういうことなのか理解出来ず、でもどうなるのかやってみたい、という気持ちから、昔の由実さんの声をサンプリングして新しいメロディに作り替えられないか、という打診をし、やってみよう、という返事をもらったのです。
試行錯誤の末に出来上がったものは、まだまだ僕がイメージしたものとはほど遠く、似ていなくもない、程度のものだったでしょうか。でもこれを部分的に使って、昔の自分に会いに行く、というテーマの作品にしました。Call me backという曲です。そう、これが全ての始まりでした。
それからほんの数年後、Dreamtonics社が開発する“Synthesizer V”というソフトウェアの存在を知りました。あの頃某国立大学が挑んでいた研究は、この短い時間でのテクノロジーの発達ゆえか、それとも技術者の才能ゆえか、天文学的な発達を遂げていました。誰が聴いても昔の由実さんがそこにありました。僕はもやもやしながらも、これは使える。と、どこかで思ったのです。
技術の発達のスピードは凄まじいものがあります。そしてそれを受け取る我々の方も、そのスピードにある程度慣らされてしまいます。AIがディープラーニングをし、考え、あっという間にポロンとアウトプットしていく。こんな夢みたいなことは今や常識。リポート作成も、作文も作曲も、AIに任せればなんでも出来るし、それなりの形にしてしまう。いや、それなりどころではない。傑作が生まれるのも時間の問題でしょう。今はそんな時代。
そして誰もがそれを受け入れている時代。
そんな中で、今一度“Synthesizer V”の意義について考えました。もしこれを普通に使ったら、由実さんは歌うのを諦めて、イージーにAIで済まそうとしている、などと言われるでしょう。ついに声の出なくなった由実さんはAIに頼った、みたいな。
それはないな…と思いました。この究極的なテクノロジーは、作品作りの初めから生かさないと意味も意義もない、と。そして、当然のことながら、これまで通りの由実さんの歌がメインにならないとアルバムとしての価値はない、と。
こうして辿り着いたのがワームホールという考え方でした。実際にあるかどうかも分からないワームホール。でも、もしあるとすれば過去と今を行き来出来ると言われます。この考えを心のどこかに置きながら曲を作り、音を作り、そして詞を作れば、“Synthesizer V”との共存は出来るはず。
作った声と今の声とをうまく共存させて面白いアルバムが作れるはず、という確証を持ち、Synthesizer Vと我々の制作プロセスを「Chrono Recording System」と名付けました。時間を超えて音を記録するイメージです。
考えてみれば70年代後半から80年代というのは、生楽器の中に少しずつ、シンセサイザーが楽器として忍び込んでいった時代でした。そして気がつくとテクノサウンドあたりからはシンセサイザーが表舞台に立っていった。
もしもそれをこのAIテクノロジーで例えるなら、ボーカロイドなどが当てはまるのかもしれません。その後のテクノサウンドはどうなっていったか、と言えば、それは形を変えながら静かに今の音楽にまで染みこんでいった、と言えるでしょう。まるでウイルスのように。そこには変わらず進化を求める音楽そのものの姿があります。
誰にでもインスタントに音楽が作れる時代。それだからこそ、最新のテクノロジーと共存するためには、その原点となる発想と共存出来なければ我々には意味がない、というのが僕の、少なくともたった今の結論です。
松任谷正隆