阪神の監督として1985年に球団初の日本一に導き、3日に脳梗塞で亡くなった吉田義男さん(享年91)の告別式が8日、兵庫・西宮市内で営まれた。家族葬として執り行われたが、阪神OB、球団関係者ら約200人が参列。最後は吉田さんが自ら歌う六甲おろしの音源が流れるなかの出棺となった。
40年前のVメンバーだった掛布雅之OB会長(69)=スポーツ報知評論家=は「本当に感謝しかないんですよね。打つ、守ると僕の野球の土台をつくってくれた方」と頭を下げた。1975年からの第1期政権では実技指導を受ける機会も多く「まだ若かったので身ぶり手ぶりで形を見せてくれるんだよね。(捕って投げるが)速い、速い。目をつむると、吉田さんの守る形、さばく姿が映像に出てくる」と故人をしのんだ。
85年のリーグ制覇の胴上げ投手だった中西清起氏(62)は「ピンチの時とかマウンドで『お前、ここ代わらへんぞ。最後までいくぞ』とか。ディフェンス面でも攻撃的な采配の監督だった。ありがとうございました」と感謝していた。
◆主な参列者(敬称略、順不同)掛布雅之、江本孟紀、上田二朗、中田良弘、福本豊、山田久志、安仁屋宗八、秦雅夫(オーナー)、粟井一夫(球団社長)、南信男(元球団社長)