阪神・大山悠輔内野手(30)と掛布雅之OB会長(69)=スポーツ報知評論家=がこのほどキャンプ地の沖縄・宜野座で対談を行った。3番・佐藤輝、4番・森下の後ろを任される予定の大山が「どっしり5番に座りたい」と決意を明かすと、新人時代に2軍監督として支えた掛布氏は「大人になった」と心身の成長を実感。1985年、23年に4番打者として猛虎を日本一に導いた両雄が、主砲、チームリーダーとしての心構えや覚悟を語り合った。(構成・島尾 浩一郎)
(前編から続く)
掛布(以下、掛)「打点にこだわるために変えたことはありますか?」
大山(以下、大)「あります。今までは遠くに飛ばしたいという気持ちがありました。その部分を残していきながらも、犠牲フライ【※1】であったり、(走者三塁で)内野が下がっているところでの内野ゴロであったり、チームバッティングを大事にしたいなと思っているので。どういう待ち方、バットの出し方をしたら犠牲フライになるのか。そういう細かいところをキャンプでしっかり見つけていきたいなと思っています」
掛「素晴らしい。私が2軍監督の時に入団してきて新人の頃から見てきましたが、本当に大人になった。4番打者で日本一も経験した。本当にいろいろあった野球人生でしたね」
大「悔しい思いの方が多かったです。日本一は、うれしいというよりも達成感というか、安心の方が大きかったです」
掛「そうなんだよね。4番としてチームを勝たせることができたというね。それはすごく分かる。では、一番しんどかったのも優勝したシーズンですか?」
大「いや、3年目【※2】ですかね。初めて4番を開幕から打たせてもらって。『4番とはこうだぞ』と(周囲から)言われてましたし。あまり結果が出てないなかで、どういう立ち振る舞いをしたらいいのか、無理やり前を向くしかないっていうのがありました。でもその時にやっぱり(福留)孝介さんが後ろ(5番打者)でいてくれたのが大きかった。今は、そういう立場になりたい思いが一番強いですね」
掛「入団9年目。改めて阪神タイガースに入ってよかったと思ってますか?」
大「それはもちろん」
掛「その気持ちは大切なこと。私も関東出身だけど、関西はすっかり慣れた?」
大「最初は関西の雰囲気は難しいものはありましたけど、でも、今は関西が大好きです」
掛「そうなるんだよ。私も関西が大好きですから。今年は球団創設90周年。チームリーダーとして引っ張っていく強い気持ちを感じたので、安心しました」
大「自分のできることをしっかりやっていきます」(終わり)
※1 大山は日本一に導いた23年にリーグトップの8犠飛だったが、昨年は規定打席到達者では最少タイの3犠飛だった。
※2 19年の大山は矢野新監督の方針でオープン戦から4番に固定されていたが、後半戦に調子を落とし、開幕106試合目だった8月10日の広島戦(京セラD)で6番に降格。その後、スタメン落ちなども経験した。
◆大山 悠輔(おおやま・ゆうすけ)1994年12月19日、茨城県生まれ。30歳。つくば秀英(茨城)では甲子園出場なし。白鴎大を経て、16年ドラフト1位で阪神に入団。23年に最高出塁率、ベストナイン、ゴールデン・グラブ賞を獲得し、38年ぶりの日本一に貢献。通算977試合に出場し、打率2割6分8厘、137本塁打、551打点。181センチ、94キロ。右投右打。年俸3億4000万円。
◆掛布会長取材後記◆
巨人の阿部監督と宮崎キャンプで対談した際に「(大山に)本当に来てほしかった」と本音を聞けた。巨人が阪神の4番打者にFAで声をかけるのは異例のこと。高い評価は、打つだけではない選手だからだ。
全力疾走を怠らず、一塁の守備範囲も広い。さらりとこなすショートバウンドの捕球も素晴らしい。本人に聞けば「捕ったぞって見せてしまうと、投げ手からしたらちょっと…」と気配りも人一倍だ。三塁からコンバートされたが「やりがいを感じています」と胸を張る。
与えられた場所で努力を怠らない選手。4番から5番に変わっても、メンタル面を含めて大山なら安心して任せられる。じっくりと話を聞き、欠かすことのできないチームリーダーと改めて痛感した。
〇…大山と掛布OB会長の対談の模様は、17日のMBSテレビの情報生番組「よんチャンTV」(月~金曜・後3時40分、関西ローカル)で放送予定。