27日から、瀬戸内の4つの島で「しまなみ映画祭」が初めて開催されます。その舞台の一つとなる大久野島は戦時中、地図から「消された」島でした。
なぜ、消されたのか。その歴史を伝える男性を取材しました。
この日、竹原市の忠海港から大久野島に向かったのは新本直登さん。島のガイドです。
■新本直登さん
「案内するのは10年かな。大久野島の観光客が多くなってきて、何かお客さんに役立つことをしたいと思って」
まず向かったのは、大久野島毒ガス資料館です。ここには、かつて島が「消された」証拠が残されています。
■新本直登さん
「赤の矢印があるところ、大久野島ですね。昔から浮かんでいた訳ですけど、戦争中に右側の地図のようにきれいに切り取られている」
島で製造されていた毒ガス。国際法上、認められておらず軍事機密でした。
■新本直登さん
「このマスクなんか、わたしの家の隣のおばあちゃん(のもの)。もう亡くなられましたけど(大久野島での話は)黙っておられた」
等身大の防毒マスクが当時の異様な日常を想像させます。
■新本直登さん
「三軒家工場群、現在の休暇村宿舎前って書いてあるところがちょうど広場になっているところですね」
連れて行ってもらったのは、毒ガスを製造していた工場地帯の跡地。ここで、人の粘膜などを刺激するさまざまな毒ガスが作られていました。
新本さんが必ず案内する建物があります。
■新本直登さん
「まさに廃墟。崩れ去るのを待つのみですね」
海からみると、木々で隠されていた発電所であるものが作られていました。
■新本直登さん
「ふ号作戦に使用する風船爆弾をつくっていたわけです」
学徒動員された女学生らが和紙をコンニャク糊で貼り合わせて気球をつくり、発電所のなかで膨らませました。気流にまかせて飛ばされた爆弾はアメリカ本土を攻撃しました。
「消された」島の記憶。ふたたび「消さない」ために、新本さんは島を訪れる人に語り伝えます。
■新本直登さん
「ほんとうに自分のこととして戦争を考えるのはなかなかできにくいと思う。こうしてほしいというより若い人が毒ガスのことを考える、平和のことを毒ガスのことを頭の片隅において、何か発信していただけることがいちばん大事かなと」
(2024年9月26日放送)
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