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【被団協・ノーベル平和賞】喜びにつつまれた被爆地・広島 誓いも新たに

広島テレビ ニュース 2024年10月14日 19時39分

日本被団協にノーベル平和賞が授与されることが決まり、被爆地・広島は喜びに包まれました。平和公園では核兵器廃絶に向けた取り組みにいっそう力が入っています。

■署名活動

「核なき世界のための署名活動へのご協力をお願いします」

核兵器廃絶の署名を呼びかける高校生平和大使。日本被団協がノーベル平和賞に選ばれてから初めての活動です。

■広島県廿日市市から

「ノーベル賞を受賞されて(署名に)参加したいなと思った」

■高校生平和大使 甲斐なつきさん

「平和活動が無駄じゃないんだということだったり自信をもらったというか、ここで止まってちゃいけないと再確認することができました」

■ノーベル委員会 発表

「(ノーベル平和賞の受賞は)to the Japanese OganizationNihon Hidankyo」

■会見

「え!」

「日本被団協?」

「うわ~電話せにゃいけんわほんとに…嘘みたい」

受賞が決まったのは11日。被爆者の立場から長年、世界に核兵器廃絶を訴え続けてきたことが評価されました。

■「号外でーす」

日本の平和賞の受賞決定は50年ぶり。広島は祝福の声に包まれました。

■市民

「みんなのことを思って頑張ってくださっていたのが伝わって言葉にならないよかったですね」

「僕も被爆2世なのでやっとここまで来たかなという感じがする」

■松井市長

「世界に警鐘を発するというとても重大なメッセージを発していただいてるんじゃないかと」

日本被団協が結成したのは1956年。アメリカの水爆実験でマグロ漁船「第五福竜丸」が被爆したことをきっかけに湧き上がった原水爆禁止運動の中で生まれました。

■国連スピーチ

『ノーモアヒロシマ、ノーモアナガサキノーモアウォー!ノーモアヒバクシャ』

初代理事長が、広島の被爆者・森滝市郎さんです。「核兵器の廃絶」と「国家補償としての被爆者援護」を2つの柱に訴えてきました。

■県被団協 森滝市郎理事長(当時)

「20年座りましたけども核はいっこうになくならない。じゃあ絶望するかというと絶望するわけにはいかない。やはりあるかぎり我々の抗議の行動はどうしても続けなければならない。そういう気持ちばかりです」

被爆者の訴えは原爆を落とした国にも届きました。2016年にはアメリカの現職大統領の初めての被爆地訪問が実現しました。

■坪井直さん

「これがきっかけでスタートだと。これで頑張っていこうと。あの大きな国を統率しとる大統領がわざわざ来て耳を一応貸したんだからあるいは見てくれたんだから」

核兵器の製造、保有などを全面的に禁止する「核兵器禁止条約」をめぐっては、制定を求める署名を集め、国連に提出。2017年の条約採択に結びつきました。

しかし、アメリカなどの核保有国が条約に参加していないことなどから、日本は参加を見送っています。

日本被団協の結成から68年。被爆者の平均年齢が85歳を超えるなか、舞い込んだノーベル平和賞受賞の知らせ。97歳の被爆者・阿部静子さんも喜びをあらわにします。阿部さんは被爆後の救済を求めて国会請願に赴き、被団協の創設に携わったひとりです。

■阿部静子さん

「闇夜に荒海に向かって叫んでいるような虚しい活動でしたが」

「まさにこの度のノーベル賞の受賞は、小さな組織、小さな力の結集を認めてくれた」

受賞決定の翌日。被爆体験を語る証言者も講話の中でノーベル平和賞に触れていました。広島を訪れたアメリカ人に核廃絶を訴えます。

■山本定男さん

「ノーベル平和賞を受賞したのは大変うれしいこと。これによって核兵器廃絶が大切なことだと世界中に知ってもらえることを私は願っています」

一方、東京で会見を開いた「日本被団協」は石破首相と電話で会話したと報告。首相が言及しているアメリカとの「核共有」について論外だと語気を強めました。

■代表委員 田中熙巳さん

「怒り心頭なんですよ。今度ぜひ会いたい。会って徹底的に議論してあなたの考え方は間違っていると。どういう風に間違っているかを説得したい」

今回の受賞決定で思いを新たにした被爆者たち。核廃絶に向けた議論が進むことが期待されます。

《2024年10月14日放送》

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