2024年のノーベル平和賞に選ばれた日本被団協の一員として、長年核なき世界を訴えてきた坪井直さんが亡くなって、10月24日で3年です。「核廃絶を決してあきらめない」。坪井さんの遺志を継ぐ人たちの思いを取材しました。
■清水弘士さん
「率直な気持ちはね、私はびっくりしたんですよ。ありえないことだと思った」
日本被団協へのノーベル平和賞決定をこう振り返るのは、被爆者の清水弘士さん。2014年から2年間、日本被団協の代表理事を務めました。
清水さんを役員に指名したのが、被団協で共に活動した坪井直さんです。
■清水弘士さん
「とってもじゃないけどそんなことはできませんよ。何も知らないし、もっと知っている人がやればいいそれは無理ですよと言ったんだけど、坪井さんはたらしこみがうまかったですね~」
■坪井直さん
「ノーモアヒバクシャ ノーモアウォー」
日本被団協や県被団協の役員として、海外でも繰り返し「核なき世界」を訴えてきた坪井さん。3年前の10月24日に96歳で亡くなるまで、被爆者の先頭に立ち続けました。
■清水弘士さん
「最後の一息まで証言し続けたいと、証言中に倒れたら本望だというのが坪井さんのモットーですね。尊敬の姿っていうか、それしかないですよね」
福山市に住む橋本瀬奈さんも、坪井さんの遺志を継ぐひとりです。
■橋本瀬奈さん
「坪井さんが喜ぶ顔が真っ先に思い浮かびましたね」
坪井さんと出会ったのは高校2年生の頃。人権問題などに取り組む部活動の一環として被爆証言を聞きとり、その半生を冊子にまとめました。
■橋本瀬奈さん
「これがゴールじゃないんだ、これがスタートなんだっていうようなことを言っておられる姿が、私はすごく思い浮かびました。今回の受賞、このチャンスがどう生かせるかっていうのは、当時の被爆者たちのバトンを受け継いだ私達にかかってると思ってるので、戦争に対する強いNOという言葉を発信していけたらいいなと思ってます」
日本被団協で代表理事を務めた清水さん。2024年2月に心臓と肺の病で倒れ、酸素吸入器が手放せません。それでも、週に1度ほど被爆証言を続けています。
■清水弘士さん
「私たちの先輩たちは被団協を作って、被爆者の現状をなんとかしたい、そのためには被爆者自らが頑張らにゃいかんと立ち上がってくれた人ですよね。将来に向けて絶対に繰り返しちゃいかんよということを実現目指してやっていこうということですから」
世界で核の脅威が高まる中で受賞が決まったノーベル平和賞。先人たちが訴えてきた「核なき世界」の実現は、思いを受け継ぐ人たちに託されています。
(2024年10月24日放送)
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