広島で被爆したあと、アメリカに渡り治療を受けた女性の一人、笹森恵子(ささもり・しげこ)さんが亡くなったことがわかりました。92歳でした。
■笹森恵子さん
「この川全部人で埋まっていた。どんどん流れていく。びちゃびちゃみんな入っていくそういう状態だったの」
笹森恵子さんは中学1年の時、爆心地から1.5キロの鶴見橋付近で、建物疎開の片付け作業中に被爆。
10年後、顔や手などのケロイドを治療するため、アメリカに渡り手術を受けました。渡米した25人の女性たちは現地で「ヒロシマ・ガールズ」と呼ばれました。
■笹森恵子さん
「私は爆風で倒されました。その後どのくらいか分かりませんが記憶を失っていました」
戦後は日本やアメリカで証言活動を続けてきましたが、親族によると12月15日、老衰のためアメリカ・カリフォルニア州の自宅で亡くなりました。92歳でした。
2024年8月、広島テレビの取材に対し、反戦の思いを訴えていました。
■笹森恵子さん
「戦争があったら色んな人の命をたくさんとるから戦争が絶対にないよう私は願います」
(2024年12月19日放送)
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