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戦後80年 英語で被爆体験を伝える原爆孤児 「命の限り続けたい」 心に傷を抱えながら活動を続ける思い【NEVER AGAIN・つなぐヒロシマ】

広島テレビ ニュース 2025年2月2日 7時0分

原爆で家族を失い、3歳で孤児となった被爆者の飯田國彦さんは、平和公園で外国人観光客を対象に、証言活動をおこなっています。その思いに迫りました。

英語を80歳から習い始めた理由

(左)英会話を学ぶ飯田國彦さん

被爆者の飯田國彦(いいだ・くにひこ)さん・82歳。月に2回、英会話教室に通っています。英会話を学ぶ理由は、みずからの体験を海外の人に伝えるためです。

■C&E English代表 荒井幸江さん

「飯田さん、発音とかもすごく上手になられました。」

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飯田さんは機会を見つけては、平和公園に足を運んでいます。話すのは、3歳のときの辛い被爆体験です。

■飯田國彦さん(英語)

「私は被爆者で、原爆孤児です。話してもいいですか。」

忘れることができないあの日…

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飯田さんは、爆心地からおよそ900メートルの母親の実家で被爆しました。

■飯田國彦さん

「(家の下に)生き埋めになった状態。小学校の3年くらいまで、毎日夢にでましたので、忘れようがないと。」

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母親と姉の3人で、県北の親戚のもとまでたどり着きました。母と姉には、目立った外傷はありませんでしたが、しばらくして放射線による症状があらわれたといいます。

■飯田國彦さん

「3人とも全部、頭の毛は全部抜けて、皮膚もはがれた状態でですね。やっとそこへたどりついて、川の字に寝ていたんですが、母と姉が死にそうになったので、私を別の部屋にいったん出したと。死に目にあわせない方がいいという考えの持ち主だったんですね、そのいとこの人は。」

(左)姉・眞基子さん(被爆時4歳)/(右)母・稔子さん(被爆時25歳)

■飯田國彦さん

「私に最後の最後、(母は)命をふり絞って尽くしてくれたといいますかね。それは、忘れることはできないですね。」

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父親も戦死。飯田さんは3歳で孤児となり、祖母や親戚に育てられました。現在82歳。今も、思わず口をついて出る言葉があります。

■飯田國彦さん

「なにか困ったことが起こると『おかあちゃん助けて』と、こういう声が出る。もう、今では助けてもらいたいと思ってはいないんだけど、声だけは消すことができないんですね。」

英語での証言活動も、命の限り続けたい

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英会話教室に通いはじめて、もうすぐ3年。飯田さんには目標があります。

■飯田國彦さん

「核兵器禁止条約を署名・批准をしていない国に派遣されて、そこで(英語で)証言活動をすると。それのメンバーに入れてくれるように今、動いているんですけど、どうなることやら。」

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飯田さんが海外で証言活動をする意義を、講師も感じています。

■アメリカ出身の講師 クリストファーさん

「私自身も、このレッスンから多くを学んでいる。とても心が痛むし、(過去の出来事は)悲劇だ。」

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被爆の実相を、世界中の人に知ってほしい。資料を片手に、身ぶり手ぶりを交えて伝えます。

■飯田國彦さん(英語)

「(この辺りは原爆で)完全に破壊され、白い灰になった。」

■フランス人観光客は…

「(聞いた話は)とても興味深い。」

「とても大切な話だと思う。」

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アメリカの観光客は、飯田さんの話に涙しました。

■飯田國彦さん(英語)

「私の母と姉は、原爆によって亡くなった。」

■アメリカから来た人

「それは、みんなの問題だ。(原爆について)知り、考え、理解することが重要だと思う。」

飯田國彦さん

心の傷は、今なお深く…家族を失った日から、80年が経とうとしています。

■飯田國彦さん

「これ乗り越えられないね、なかなか。80年経っても。乗り越えられないですね。ものすごくひどい目にあったということもありましてね。『自分のような思いを、ほかの誰にもさせてはならない』というのが、被爆者の合言葉ですね。」

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