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“脳がバグる”と話題のTVアニメ『逃げ上手の若君』をレビュー 北条時行が理想の主君(上司)である4つの理由【アマプラおすすめアニメレビュー】

Fav-Log by ITmedia 2024年8月24日 8時15分

 鎌倉時代末期から南北朝時代を舞台に、北条家の生き残り・北条時行(ほうじょうときゆき)と、後に室町幕府を開く足利高氏(後の尊氏)との、命がけの攻防戦を描くTVアニメ『逃げ上手の若君』。

 原作は『魔人探偵脳噛ネウロ』や『暗殺教室』などの大ヒット作品を手掛けた松井優征氏が描く、現在「週刊少年ジャンプ」で連載中の歴史漫画です。アニメ化されるやいなや、主人公・時行の男の子離れした異様な可愛さにSNS上では「脳がバグる」と話題を呼び、夏アニメの中でも注目の1作となっています。

 今回はそんな『逃げ上手の若君』をレビューしようと思います。時行が理想の主君(あるいは上司)と言える理由という観点から、時行が持つ魅力について考えていきます。本記事はネタバレが含まれるため、アニメを見てから読むことをおすすめします。

●『逃げ上手の若君』をレビュー:理由その1「困難な状況を楽しむ感性を持っている」

 主人公・時行は、武芸の才がほとんど無く、争い事を好まず、逃げることに秀でた、一見すると乱世には向かない人物と言えるでしょう。しかし鎌倉奪還のために、仲間「郎党」を集め始めると、時行の下には続々とさまざまなタイプの人が引き寄せられていきます。

 なぜこんなにも時行は人々から慕われるのでしょうか? もちろん時行を引き取った神官・諏訪頼重(すわよりしげ)の影響力もありますが、時行自身が持つ資質や性格が主君に向いていることも事実でしょう。

 ここでは時行が理想の主君と言える理由を、大きく4つのポイントに分けて見ていこうと思います。1つ目は「困難な状況を楽しむ感性を持っている」ことです。第1話の無数の敵の攻撃をかいくぐるシーンや、第2話の五大院宗繁の攻撃をかわすシーンに表われているように、時行は命を落とすかもしれない窮地の中で逃げることが好きな、やや変態じみた趣向の持ち主です。

 刀をかわしながら顔を紅潮させ、命のやり取りを笑顔で楽しんでいる時行の姿は、頼重の言うように「生存本能の怪物」そのものと言えます。また第6話にて、盗人・風間玄蕃(かざまげんば)と共に、小笠原の館に忍び込むシーンでも、初めての潜入にも関わらず、時行は目を輝かせており、楽しんでいるように見えます。

 明日生きているかも分からない戦乱の世では、不安に駆られているのが普通でしょう。だからこそ時行のような、乱世の危険に満ちた状況を楽しむ感性を持つ人物は、人々の不安を緩和し「この人なら乗り切ってくれるのでは!」と、希望を与える存在になるはずです。ある種の楽観さが人々の心の支えになると言っても良いでしょう。

●『逃げ上手の若君』をレビュー:理由その2「敵味方関係なく、人物の能力を見定める冷静さがある」

 2つ目は「敵味方関係なく、人物の能力を見定める冷静さがある」ことです。第4話にて、諏訪の領地に訪れた信濃守護・小笠原貞宗が弓で、巫女の耳を射るという暴挙に出るシーン。それを見た時行は「武士として恥ずべき行い」と言いながら、同時に「弓だけは本当に美しかった」と敵である貞宗の弓の技術を褒めています。

 この発言から分かるのは、時行が“倫理の問題”と“能力の問題”を区別して捉えているということです。普通なら感情論に陥って「人として嫌いな時点で全てが無理」と思考停止してしまいがちですが、時行は相手に対して「嫌い」という感情を持ちつつ、同時に「凄い」という評価を下しています。

 皆さんも自分の嫌いな人を想像してもらえれば分かると思いますが、嫌悪した相手の能力を素直に認めるという行為はなかなかできるものではないでしょう。

 こうした人並外れた冷静さと寛容さによって時行は、後に人としてはやや問題があるものの、忍びとしてのスキルは一級品の玄蕃を郎党に迎い入れることに成功しています。己の好き嫌いといった感情に流されず、能力に応じて評価を下す姿勢は、まさに上に立つ者に求められることではないでしょうか。

●『逃げ上手の若君』をレビュー:理由その3「悲劇の経験者である」

 3つ目は時行が「悲劇の経験者である」という点です。時行は一族を皆殺しにされ、信頼していた者から裏切られ、鎌倉という土地も財産も全てを失った、強烈な悲劇を経験した人物です。これは時行にとってつらい過去であることは間違いありませんが、悲劇を乗り越えてきた事実は彼の発言に説得力を持たせてくれます。

 大した修羅場を経験したことの無い人に偉そうに指示されても、言葉が上滑りしてしまうところがありますよね。一方で時行のように、実際に修羅場を経験した人物の言葉は独特な重みを持って迫ってきます。

 当事者が語る実を伴った言葉だからこそ、説得力が生まれるのです。また悲劇は人から共感を呼びますし、何とか助けてあげたいと思わせるところもあるでしょう。この点も時行の主君としての魅力を高めている要素と言えそうです。

●『逃げ上手の若君』をレビュー:理由その4「己の正しさを曲げない」

 4つ目が「己の正しさを曲げない」ことです。第3話の冒頭、頼重が放った「人が惹かれる正しい人間であれば良い。さすればいつかあなた様はどんな鬼でも倒すことができまする」という言葉に習うように、時行は主君としての「正しさ」を曲げずに行動します。

 第6話にて玄蕃から裏切られそうになった場面でも、時行はむしろ敵の矢から玄蕃を守り、傷を負ってしまいます。「私からは君を絶対に裏切らない」と宣言し、己にとっての正しさを言葉と行動で表現していました。口で言うだけでなく、体を張って仲間を守るという命がけの行動で表しているところも、時行の主君としての魅力を高めているポイントです。

 言っていることと、やっていることが違う人は山のようにいますが、時行のように言行一致を徹底できる人はそれほど多くないでしょう。特に裏切りや離反が当たり前、正しさよりも己の利益、己の命、己の地位や名声を求める人物があふれかえっている混沌とした南北朝時代に、正しさを持ち続け言行一致を体現する人物は、かなり稀だったのではないかと推測されます。

 こうした誰を信じて良いか分からない、正気を保つことが難しい乱世において、何があっても裏切らず正しさを曲げない姿勢を貫く時行が人々から信頼を集め、慕われたのは当然と言えば当然のことです。

 また主君が正しさを曲げないことで、家臣にとって「何か迷った時は主君の下へ行けば良い」という安心感につながるところもあるでしょう。正しさを持ち続ける不動点としての魅力を、時行は備えているのかもしれません。

●『逃げ上手の若君』をレビュー:近年のヒット作に見られる「主人公の諦観」と「下剋上」

 最後に近年のヒット作と比較しつつ『逃げ上手の若君』を分析して終わろうと思います。『逃げ上手の若君』を見ていて感じるのは「主人公の諦観」「下剋上」「幼児退行願望」「歴史への眼差し」という4つのポイントです。

 1つ目の主人公の諦観ですが、本作の主人公・時行は物語の当初、争い事を好まず、地位や名誉に興味のないやや悟った少年として登場します。競争意識が無いわけですが、この点は時行以上に悟っている『葬送のフリーレン』の主人公・フリーレンのマインドと重なるところがあります。

 鎌倉幕府の次期党首である時行と、1000年の時を生きるフリーレンは、物語のスタート地点ですでに高みに居るという点でも共通しています。こうした欲の無い主人公の姿は、出世に興味の無い現代の若者像や、世界各地で見られるバーンアウト(燃え尽き症候群)のメンタリティーとつながるところがありそうです。

 2つ目の「下剋上」は、鎌倉幕府滅亡後の時行の行動目的になりますが、この点も近年の韓国発のコンテンツと通ずるところがあります。例えば、映画『パラサイト 半地下の家族』やドラマ『イカゲーム』では、社会の貧困層から何とか立ち上がろうとする人々の姿が描かれていました。最近アニメ化した『喧嘩独学』や『俺だけレベルアップな件』などの大人気WEBTOONコンテンツにも底辺からの逆襲というコンセプトが含まれています。

 韓国だけでなく、アメリカの映画『ジョーカー』にも似たような表現が見られます。こうした作品が近年高く評価されるのは、現実社会の格差が広がっていること、貧困層に追い込まれた人々の怒りがたまっていることなどが背景にあるものと推測されます。そういったリベンジマッチ的な願望へも、本作は接続する作りになっていると言えるでしょう。

●『逃げ上手の若君』をレビュー:潜在的欲求としての「幼児退行願望」と「歴史への眼差し」

 3つ目の「幼児退行願望」ですが、本作の若君である時行はまだ少年で、かなりあどけなさが残る形で描かれています。頼重に抱き着いたり、仲間との稽古で「ほーら、あと一押し。頑張れー、頑張れー」と頭をよしよしされたり、扱われ方も主君のそれと言うよりも、子供をあやすようなところが見受けられます。

 こうしたいわゆる“バブみ”を感じさせる描写を盛り込んだ作品は近年人気が高まっています。例えば、赤ちゃんとして転生する『無職転生』や同じく赤ちゃんとして転生し複数の女性からちやほやされる『転生したら第七王子だったので、気ままに魔術を極めます』、アイドルの子供に転生し、赤ちゃんとして育てられる描写をしっかりと描いている『推しの子』など、転生を題材とした作品でこうした“赤ちゃん返り”の表現が良く見られます。

 やや変化球ですが、高身長でスタイル抜群のヒロインと、身長が極端に低く描かれている主人公の恋愛を描いた『僕の心のヤバイやつ』でも、バブみを感じさせる描写は少なくありません。ヒロインと主人公の体格差は、主人公視点から考えると幼少期の自分と母親の体格差と対応するところがあり、恋愛である一方で第2の母親的な目線がヒロインに向けられているようにも見えます。

 実際に主人公が本心を打ち明けて、ヒロインの胸に抱かれるシーンは異性に対するいやらしさではなく、母性的な癒しを感じる場面として演出されています。こうしたバブみ的なある種の幼児退行願望を扱うコンテンツの流れに『逃げ上手の若君』も位置付けられるものと考えられます。

 4つ目の「歴史への眼差し」ですが、本作が鎌倉時代末期から南北朝時代を扱っているように、近年のヒット漫画やアニメ、映画の中には日本の過去を舞台に設定したものが多数見受けられます。

 『鬼滅の刃』が大正時代を舞台にしていることは有名ですが、その他にも『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』やアカデミー賞を受賞した『君たちはどう生きるか』『ゴジラ-1.0』は戦中から戦後にかけての時代を舞台にしています。さらに『地獄楽』は江戸時代末期、『ゴールデンカムイ』は明治時代後期と、高い人気を獲得している作品において、歴史への眼差しを感じさせるコンテンツが少なくありません。

 原因はなんとも言えませんが、異世界ものや現代を舞台にした作品がややネタ枯れしている影響があるのか、ニューフロンティアとして過去の歴史に注目する流れが生まれているのかもしれません。あるいは混乱期に入った世界情勢や行き詰まりを感じる現代社会で、歴史から何かを学ぼうとする潜在的な欲求が働いている可能性もあるでしょう。

 このように他作品との対応関係を見ると『逃げ上手の若君』は、突然変異的な作品と言うよりも、現在求められている要素が掛け合わされる形で、時代の要請に従ってある意味必然的に生まれた作品であるということが言えそうです。

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