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映画『きみの色』をレビュー 山田尚子×吉田玲子の最強タッグが放つ、いい子のための処方箋! 反抗できないけど、自立したい…若者の心にギリギリまで迫る傑作が誕生!

Fav-Log by ITmedia 2024年9月26日 18時38分

 社会現象化した『けいおん!』をはじめ『たまこまーけっと』や『聲の形』など、数々の名作アニメを生み出してきた、山田尚子監督×脚本家・吉田玲子の最強タッグが送る最新映画『きみの色』。「第26回上海国際映画祭金爵賞アニメーション最優秀作品賞」を受賞するなど、国内外問わず高い評価を獲得しており、今話題を呼んでいます。

 筆者は『けいおん!』を高校時代にリアルタイム視聴していたこともあり、これはチェックせねばと思って見てきたのですが……見事にハートを撃ち抜かれてしまい、序盤から涙が止まりませんでした。

 音楽と青春劇を組み合わせながら、若者の瑞々しい日常や日々の葛藤を丁寧に描き出す2人の作風は、さらに磨きがかかっており『きみの色』で一種の最高到達点を迎えているように感じました。

 今回はそんな傑作映画『きみの色』をレビューしようと思います。本記事にはネタバレが含まれるため、映画を見てから読むことをおすすめします。

●映画『きみの色』をレビュー:いい家族だからこそ、本音が言えない…“いい子”が抱える複雑な感情

 突然ですが皆さんは親に反抗したことがあるでしょうか? 正直な話、筆者はほとんどありません。この記事を読んでいる皆さんの中にも、反抗期を経験したことが無いという人は意外と多いのではないでしょうか。

 現代の若者心理を分析し、話題を呼んだ金間大介氏の著作『いい子症候群の若者たち』の中でも、自己主張を恐れ他人との競争よりも協調を重んじる、現代の若者像が紹介されており、一定の説得力を持って世間に受け入れられていたように思います。

 このことからも親へ反発するという態度を取る若者が少なくなっていることは想像でき、SDGsや多様性に理解のある若者像が共有されるなど、近年いわゆる「いい子」が増えているような印象も受けます。

 もちろん、その反対側には「毒親問題」や「親ガチャ問題」などにより理不尽な想いを抱え、上の世代に対して強烈な反発心を持っている若者も確かに存在します。2020年に大ヒットしたAdoの「うっせぇわ」に大人への怒りを託した人も少なからずいたはずです。

 では、毒親問題を抱えていない「いい子」は、親や家族に対して何もストレスを感じていないのかと言うと、そんなことはありません。『きみの色』の日暮トツ子、作永きみ、影平ルイの3人のように、衣食住に困ることなく、ちゃんとした教育を受けることができる若者でも…いや、だからこそ、親や家族に対して自分の想いを隠してしまうところがあるのです。

 自分がどれだけ恵まれているかが分かっているからこそ、周りの期待が見えるからこそ、自分の意見を言ったり、自分のやりたいことをやったりするのは“わがまま”なんじゃないかと、自己主張することを躊躇してしまい、本音をさらけ出せないでいる若者は決して少なくないでしょう。『きみの色』は、そんないい子だからこそ生じる悩みや、自分の気持ちと周囲への気遣いで葛藤する心にギリギリまで迫った作品と言えます。

 例えば、ルイは母親に家業である医者を継ぐことを強く期待されるがゆえに、音楽の道へ進みたい本音を隠しています。きみの場合は、同居する祖母がかつて通った全寮制のミッションスクールに入り、祖母から聖歌隊になることを期待されていたものの、学校を中退してしまいそのことを祖母に言えずにいます。2人とも愛され期待されるがゆえに、自分の主張が家族を傷付けてしまうのではないかと家族を気遣い、本心を隠しているのです。

 これはまさに「いい子」だからこその悩みで、いい家族だからこそむしろ辛いこともあるという、素朴過ぎるがゆえに意外と取り扱われることが少ないテーマです。そういう意味で本作は一見優しいタッチでありながらも、非常に挑戦的な映画と言えるかもしれません。

●映画『きみの色』をレビュー:反抗期は無くても、自立したい気持ちはある…という超リアルな心理描写

 先ほど紹介した『いい子症候群の若者たち』の中では、自分の意見を言わない今の若者について、意見を表明しないことで周りの大人がなんでもしてくれるから、何もしないことでむしろ得をしているという趣旨のことが“究極のしてもらい上手”というやや皮肉っぽい言葉と共に紹介されています。しかし、この点に関しては、少々若者の心を大雑把にとらえているのではないかと筆者は思います。

 確かに自己主張しないことで、何らかの得をしているのは事実でしょう。ですが、それは意見が言えない状態の一面を損得勘定の視点のみで切り取った考えであって、実際はもっと複雑なはずです。きみやルイのように、相手のことをおもんばかり過ぎて、気遣いをし過ぎてしまい、口を閉ざしてしまう…。優し過ぎるがゆえに自分の意見が表明できないという側面もあるのではないでしょうか。

 初めてみんなで合宿をするシーンでは、各々が勇気を振り絞って家族に電話をかけ「今日はみんなで泊まる」という旨を伝えるのですが、単に仲間と外泊するだけのことでも、それを伝える時に酷く緊張しており、彼らが日ごろからどれほど大人に気を使っているのかが伝わってきます。いい子の生きづらさが、リアルに表現されていたように思います。

 こうした現代のいい子の心の機微を丹念に拾っているのが、本作の極めて優れた点だと筆者は考えます。気遣いのあまり本音を隠し続けてきた彼らが、音楽を通して同じような悩みを抱えた仲間と出会い、時には一緒に校則を破り、時には親と離れて合宿をしたりしながら、ルールを越えたところ(非日常)で絆を深めていきます。

 ちょっとしたいけないことの共有が友情を育むという表現が見られた後、さらに音楽という共通目的によって気持ちを共有し、第2の家族的な居場所ができたことで、安心して親や家族と向き合えるようになっていきます。そして反抗という形ではなく、話し合いや音楽に乗せて自分の本心を表明し、自立へ向けて成長していきます。

 反抗心は無くても自立心はあること、仲間という第2の家族を作ることで実の家族とも安心して向き合えるようになること、優しくて反抗できなくても自立できることを教えてくれる、生きづらさを抱えたいい子たちにとっての処方箋のような作品だと感じました。

 “反抗期”を迎えたことが無い人でも、いわば“自立期”は間違いなくあるのだと実感させてくれる物語であると言うこともできそうです。

●映画『きみの色』をレビュー:『けいおん!』や『たまこまーけっと』など、山田尚子×吉田玲子のタッグ作品に見られる特徴

 続いて『きみの色』を生み出した最強タッグ、山田尚子×吉田玲子の過去作との関連性や傾向を分析しようと思います。本作には2000年代に社会現象化した『けいおん!』と、その後に制作され劇場版も公開された『たまこまーけっと』の要素が多分に含まれているものと推測されます。

 まず両作に共通するのが『映画けいおん!』『映画たまこラブストーリー』という形で、いずれもテレビシリーズだけでなく劇場版がセットで展開されている点です。そしてここで重要になるのが、テレビシリーズと劇場版は明らかに異なるスタンスで作られているということです。

 テレビシリーズは2000年代の“終わらない日常”を象徴するように『けいおん!』では学生としての日常描写、『たまこまーけっと』では学園と商店街での日常描写をメインに扱い、日常の楽しさや豊かさが丹念に描かれています。一方で、劇場版では両作とも序盤は日常描写から始まりますが、中盤以降から非日常へ移行していく流れで構成されています。

 『けいおん!』ならいつもの学校を飛び出して異国の地ロンドンを訪れ、帰国後は卒業という別れのイベントを経験し、日常から逸脱する中での成長物語が描かれます。『映画たまこラブストーリー』では、恋愛に興味の無かった主人公・たまこが、幼馴染のもち蔵から告白されたことをきっかけに相手を意識し始め、いつものほんわかした日常から離れ、非日常的な感覚に戸惑うことになります。

 いずれの作品もテレビシリーズでは日常、劇場版では非日常を経ての成長という役割分担が取られていることが伺えます。

 この点を前提にして『きみの色』を見ると『映画けいおん!』や『映画たまこラブストーリー』と同じように、『きみの色』も日常から非日常へはみ出していく中で成長する少年少女を描くという、これまでの劇場版のスタンスを踏襲した作品であるということが言えそうです。

●映画『きみの色』をレビュー:山田尚子監督の自己投影としてのシスター日吉子

 上記は構造的な話ですが、もう少し具体的なレベルでも『きみの色』には『けいおん!』と『たまこまーけっと』の影響が見られます。まず“バンドもの”というコンセプトを聞いた時点で『けいおん!』を連想した人は多いはずです。確かに音楽を通して仲を深めていくのは『けいおん!』を思わせるところがありますが、ここで注目したいのは“シスター日吉子”の存在です。

 シスター日吉子は何かと主人公たちの手助けをしてくれる重要なキャラとして登場します。物語の終盤ではライブシーンの前に「私も実は昔バンドをやっていた」というカミングアウトがあり、トツ子たちにシンパシーを寄せていた理由が明かされますが、これは完全に『けいおん!』のさわ子先生ですよね。

 軽音楽部の顧問であるさわ子先生も昔は「DEATHDEVIL」というメタル系ハードロックバンドを組んでいた過去があり、何かと放課後ティータイムのメンバーを助けてくれる存在でした。年長者の元バンドマンが、陰ながら主人公を支えるという『きみの色』に見られる表現は『けいおん!』から引き継がれた要素と言えるでしょう。

 また山田尚子監督自身も昔バンドマンだった過去があることで知られており、さわ子先生やシスター日吉子のポジションには監督自身が投影されている可能性もありそうです。元バンドマンの年長者として後輩を優しく見守るさわ子先生やシスター日吉子の視点は、同じく元バンドマンで年長者である監督自身のキャラクターを見守る優しい眼差しと重なるように思えてなりません。

●映画『きみの色』をレビュー:『映画たまこラブストーリー』と『聲の形』の影響について

 主人公・トツ子のキャラクター性についても、過去作の特徴が表れているように感じました。トツ子は純真無垢かつ天然ボケ、周りを巻き込む狂言回し的な特性を持つ人物と言えます。この純真無垢かつ天然ボケの要素は『けいおん!』の唯や、『たまこまーけっと』のたまこを想像させるところがあります。天然ボケキャラを描く上手さは、本作『きみの色』でも存分に発揮されていたように思え、山田監督の得意技の1つと言えそうです。

 本作には淡い恋心の描写もありますが、この点は『映画たまこラブストーリー』と繋がる要素と考えられます。『映画たまこラブストーリー』では、もち蔵がたまこに想いを寄せている形でしたが、『きみの色』ではきみがルイに想いを寄せており、男女の役割は逆転している印象があります。

 ただし『きみの色』のラスト、船に乗るルイを送り出すシーンは『映画たまこラブストーリー』のラスト、線路を挟んでもち蔵に声を掛けるたまこを思い起こさせるところがあります。船と電車という違いはあるものの、別れのシーンに恋愛を絡める展開は近しいものがあり、演出や構成の点で踏襲しているような印象を受けました。

 また周囲に気を遣い過ぎて、生きづらさを抱える若者の心の機微を描くということについては『聲の形』の経験が生きているのではないかと推測されます。耳の不自由な少女・西宮と、彼女を小学生時代にいじめていた少年・石田の今にも壊れそうな精神状態を極めて丁寧に表現した1作です。

 自己嫌悪や罪悪感、親や家族への気遣い、申し訳なさ、言いたいことが言えないもどかしさなど、生きづらい若者の心のヒダまで繊細に描く『聲の形』のスタイルは、本作の『きみの色』でも多分に生かされていたように思います。

 このように過去作との関連性を見てみると、本作『きみの色』は山田尚子×吉田玲子のある種の到達点的な作品であり、集大成と言えるのではないでしょうか。

 露悪に走らず、人の良心を信じて繊細に表現しながら、それでいてきちんとエンターテインメントになるというのは、考えてみれば非常に難しく挑戦的な行為です。2人の最強タッグが放つ優しいエンターテインメントが今後どのような進化を遂げるのか、ファンの1人として楽しみでなりません。

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