総閲覧数4億4000万回超えのメガヒットを飛ばし、現在「少年ジャンプ+」にて連載中の漫画『ダンダダン』。漫画家・龍幸伸氏が描くオカルティック青春物語が、TVアニメとして10月から放送が始まり、そのハイクオリティな仕上がりもあって現在大きな話題を呼んでいます。早くも秋アニメの覇権に推す人も少なくありません。
オカルト×ラブコメ×バトルというおいしいもの全部乗せなのに、胃もたれせず鑑賞後の気持ちよさも味わえる絶妙なバランスで構成された作品です。「Bling-Bang-Bang-Born」で社会現象を起こした「Creepy Nuts」がオープニングテーマ「オトノケ」を担当するなど、原作の面白さ、官能的で上質なアニメーション、最前線の音楽が奇跡的に融合した快作アニメとなっています。
今回はそんなTVアニメ『ダンダダン』をレビューしようと思います。TVアニメ4話までの内容をもとに、原作未読の初見人間による素朴な感想をお届けします。
●『ダンダダン』をレビュー:シンプルに興奮する! コンプラ解放区としての少年漫画的快楽がてんこ盛り
少年漫画の肝は「野性(あるいはリピドー)」だと筆者は考えているのですが『ダンダダン』は、まさに観客の野性をガンガン刺激してくる作品という印象を持ちました。
冒頭から「やらせろ」と迫るクズ男とハイキックを入れるヒロイン・モモのカットで始まり、生足を強調させながら廊下を歩くモモの姿、極め付きはセルポ星人によって下着姿にさせられ貞操の危機を迎えるモモ、さらにターボババアに股間を奪われる主人公オカルンなど……第1話から性的なモチーフが惜しみなく、ガンガン出てきます。
さらに言うと、呪われたオカルンがセルポ星人と戦ったり、超能力に目覚めたモモが敵を派手に倒したり、宇宙船を墜落させたりと、暴力という面での野性も見られ、第1話だけで性と暴の2種類の野性を一挙に感じられる作りになっています
筆者はすでに30オーバーのおじさんですが、こんなの学生時代(それこそ少年時代)に見たら大変ですよ。少年漫画の読者が本質的に求める「野性(リピドー)の解放」が得られるから、興奮してしまうのは間違いないですし、見ること自体で大きな快感が得られるはずです。
第1話でヒロインの下着姿まで見せてしまう攻め方は、コンプラ地獄の現代にはなかなか果敢な戦い方ですし、そういったいい子症候群的な世の中だからこそ「これを待ってました!」という解放感をより強く感じられるのではないでしょうか。
●『ダンダダン』をレビュー:そういえば少年漫画ってギャル率が高い!
『ダンダダン』のヒロイン・モモがギャルでセクシーであるというのも伝統的な少年漫画のマナーという印象で、良い意味でノスタルジックな気分になりました。『ドラゴンボール』のブルマや『ワンピース』のナミ、『呪術廻戦』の釘崎野薔薇、『チェンソーマン』のパワーなど枚挙に暇がありませんが、少年漫画には内面がたくましいギャル風のヒロインが数多く存在し、いずれも高い人気を獲得しています。
第1話からセクシーシーンがある点は『ドラゴンボール』のブルマや『ナルト』で裸の女性に変化(へんげ)する場面などを思い起こさせるところもあり、初回から性的魅力を押し出すスタイルを踏襲する『ダンダダン』の第1話にはある種の懐かしさを覚えました。
また敵として登場するセルポ星人とターボババアが両者ともに、性的欲求でムラムラしているのも印象的でした。ただしそれは健康的な性欲ではなく、社会で闇を背負ってしまった病んだ大人が持つ歪んだ欲求という形で描かれており、その点も面白い要素でした。
特にセルポ星人はスーツを着た七三分けの営業マンという造形をしているため、宇宙船のシーンは見方によっては病んだ中年サラリーマンが少女を襲っているようにも解釈でき、妙なリアリティがあって非常に不気味です。ルールを守らないずる賢い存在として宇宙人や幽霊が登場することも少なくなく、こうした未確認存在が大人の歪みやケガレの象徴として描かれている印象を受けました。
こうした汚い大人の手口や欲望に、モモとオカルンの極めてピュアな「友情(もしくは愛情)」によって対抗していく図式でバトルが展開します。ピュアな子供VS汚れた大人の対立構造にすることで「やっぱり欲におぼれちゃダメだし、友情って大事だよね」というところを思い出させてくれるのも、まさに少年漫画的で素晴らしい点だと思います。一見すると野性的で過激な作風ですが、話の落としどころは倫理的なので安心して見られるという、ごちゃごちゃしているようで実はバランス感覚に優れた作品だと言えるかもしれません。
●『ダンダダン』をレビュー:「野性の暴走」と「繊細さ」が自己投影を加速させる
少年漫画が好きな人なら「力が抑えきれない!」と主人公の自我が崩壊し、暴走するシーンは良く見かけると思います。本作『ダンダダン』でも、ターボババアに呪われたオカルンがモモの制御から抜けて、暴走しそうになるという場面は頻繁に描かれています。
こうした「野性の暴走」とも言える場面は、少年漫画ではおなじみの要素になります。
『ナルト』ではナルトの九尾狐、『BLEACH』では黒崎一護の虚、『呪術廻戦』では虎杖悠仁の宿儺と、主人公はたいてい自分の内に狂暴な化け物を飼っており、その化け物が何らかのきっかけで暴走してしまうということが少年漫画では少なからず起こります。しかも、こうした暴走シーンは名場面として後に語り継がれることが多く、その点からも観客の潜在的な欲求につながる要素だと推測されます。
では「野性の暴走」は観客のどんな感覚とつながるのでしょうか? もちろんシンプルに日ごろの鬱憤を晴らせるというのもありますが、思春期の葛藤とつながる部分もあるのかもしれません。特に思春期は性の目覚めもありますから、自分の中の野性を強く意識するタイミングですし、同時にそれを抑えなければならないと堪えるための理性も発達する時期です。
誰もが内なるターボババアや宿儺、九尾狐と対峙し、理性との摩擦で葛藤し悩むタイミングと言っても良いでしょう。ターボババアに操られそうになり、なんとか理性を取り戻し……というターボババアとオカルンの主導権争いは、まさに野性と理性の内的な葛藤を表現しているようにも見えます。もちろん作中で起こっていることはフィクションですが、こうした野性と理性の激しいつばぜり合いで苦しむ状態は、思春期の男子にとってリアルそのものと言えます。
だからこそターボババアと心の中で綱引きするオカルンのことを自分事として受け止めやすいですし、普段強めに野性を抑えているからこそオカルンが力を解放する野性的なシーンには心が躍り、ある種のカタルシスを感じるのだと考えられます。
また「野性の暴走」だけでなく、オカルンの繊細過ぎる性格も観客の自己投影を促すポイントになっていると思われます。オカルンは友達ができないことをコンプレックスに感じており、せっかくできた関係性もちょっとしたことで壊れるのではないかと、人間関係にやや神経質になっているところがあります。
現在いわゆる「コミュ障」を自称する若者や孤独な若者は少なくないと言われていますし、繊細過ぎて及び腰になってしまうあたりは『呪術廻戦0』の乙骨憂太や『ぼっち・ざ・ろっく!』のぼっちちゃんにも見られる特徴です。これらの作品がいずれも大ヒットしていることから考えると、こうしたキャラが持つコミュニケーションにおける自信の無さや関係性への不安は一定程度共有されている感覚なのかもしれません。
このようにオカルンは、野性と理性のにらみ合いという思春期の普遍的な悩みと同時に、繊細かつ孤独な現代的な若者像を内包している、今の若者が自己投影せざるを得ない魅力的なキャラクターに仕上がっていると言えそうです。
●『ダンダダン』をレビュー:サイエンスSARUの野性的なアニメーションとの相性が抜群!
今回TVアニメ『ダンダダン』の制作を担当したのは、アニメーション制作会社のサイエンスSARUですが、筆者としてはサイエンスSARUの持つ独特の表現スタイルと原作のスタイルが見事に合致した組み合わせだと感じました。本能を刺激する動物的な動きや、激しくもどこかリズミカルで軽快なバトルシーンなどは圧巻で、原作との相性の良さを感じずにはいられません。
サイエンスSARUと言えば『ピンポン THE ANIMATION』や『映像研には手を出すな!』、『夜は短し歩けよ乙女』『犬王』など数々の名作アニメを手掛けた鬼才・湯浅政明監督を一番に思い浮かべる人は少なくないはず。本作『ダンダダン』は山代風我監督が担当していますが、湯浅監督ならではの演出も幾分か受け継がれているような印象を受けました。
特にオカルンが変身して超高速で走るシーンなどは「湯浅走り」と言いたくなるような特殊なフォームで表現されていたように思われます。地面と背中が平行になるくらい極端な前傾姿勢で手足をしならせながら走るという、まるで四足歩行の動物が走る時のような奇妙なフォームだったと思います。
あえて四足歩行的な走り方にすることで、人間ではない何か(獣)になった瞬間を表現しているものと思われますが、オカルンも通常時は姿勢を伸ばし人間的な走り方をしていたのが、変身後は前傾姿勢の湯浅走りになっていたと思います。
2足歩行と4足歩行で、人間と獣の動きを分けるスタイルは、例えば湯浅監督が手掛けた『DEVILMAN crybaby』における通常時の主人公・不動明とデビルマンとして覚醒後の状態で走り方を分ける表現方法と通底するものがあり、こうした表現方法は本作『ダンダダン』にも生かされているものと推察されます。
『ダンダダン』は本能に訴えかける野性味あふれるスタイルの作品ですから、四足歩行のような動物的な湯浅走りとの親和性は高いように思います。
さらにこうした軽やかな動きに、牛尾憲輔氏の軽快な音楽が加わることで、シリアスなバトルシーンでありながらも、オカルンやモモ、宇宙人や幽霊が戦いながら何かのダンスを踊っているかのような可笑しさが伝ってくるのも魅力的なポイントです。
劇中に踊りの要素が出てくるのは湯浅監督の特徴の1つですが、軽快な演出とピッタリ合う牛尾氏のダンサンブルな音楽も注目したい要素です。牛尾氏と言えば『ピンポン THE ANIMATION』で音楽を担当したことでも知られ、卓球の動きを踊りのように表現する湯浅監督の演出に、思わず足が動き出すようなリズミカルな音楽を組み合わせたことで、最終的にはダンスを見ているかのように楽しめる独特な卓球シーンに仕上がっていました。
こうした獣のような動きと、リズムを取りたくなるような牛尾氏の音楽が相まって、シリアスなはずなのに敵と味方がギリギリの攻防戦の中で、じゃれ合っているようにさえ見える『ダンダダン』ならではの奇妙な映像作品になっているように思います。
こうした演出と音楽によるテンポの良い作劇は『ダンダダン』が持つキャラ同士の丁々発止のノンストップコント(あるいは漫才)的な掛け合いとも相性は抜群。演出や音楽などサイエンスSARUが培ってきたあらゆる要素が、こうした会話劇も含めた『ダンダダン』の表現と見事に相乗効果を発揮しているように思います。観客の本能をくすぐる、まさに今期覇権アニメ最有力の1本に仕上がっていると言えるのではないでしょうか。