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「生成AI検索」は著作権侵害なのか? 日本新聞協会の“怒りの声明”にみる問題の本質

ITmedia NEWS 2024年7月29日 11時0分

 日本新聞協会は7月17日、Web検索と連動してAIがサマリーを返す検索エンジンのサービスについて、著作権侵害に該当する可能性が高いとする声明を発表した。

 以前から同協会では、AIによる権利侵害に対して警戒感を強めている。機械学習に報道コンテンツが自由に使われてしまうのは問題ではないかとして、AIによる学習を著作権者が拒否できる、もしくは利用時に許諾を得る仕組みの整備が必要であると訴えてきた。

 上記の意見書は、内閣府が行ったパブリックコメントへの意見だが、今回の声明は特にパブリックコメントとは関係なく、独自に出されたものであることから、より緊急性が高い案件という事なのだろう。

 現在Web検索に連動した生成AIサービスは、Googleでは「Search Labs AI」として提供されている。一方Microsoft Bingでは、検索ウィンドウ内で単純に検索するか、「ディープ検索」を使うか、あるいはそこから質問をCopilotへつなぐかという格好で分岐している。新聞協会の主張では、両社のサービスに対して著作権侵害の可能性を指摘しているが、主張に対してより具体的に該当しそうなのは、Googleの「Search Labs AI」のほうだろう。

●「軽微な範囲を超える」とはどういう意味か

 上記で示した、AIの学習に関する著作権法の規定は、30条の4(著作物に表現された思想又は感情の享受を目的としない利用)の話である。一方検索時にサマリーを示すという件は、47条の5(電子計算機による情報処理及びその結果の提供に付随する軽微利用等)の話である。

 Web検索を行うと、見つかったコンテンツのタイトルとそのリンクとともに、本文の一部が抜粋されて表示される。この機能を巡っても著作権侵害ではないかと大もめした時代もあったが、2018年の著作権法改正で、30条の4と47条の5が新規に設定された。

 つまり検索時に中身がちょこっと見えるのは、「軽微な利用」なのでセーフ、ということになったわけである。

 ただこの機能は、ネットで調べものをする者にとってはもろ刃の剣となった。リンクを踏まず抜粋された文章だけ読んでわかったわかったとして引き返す人が多く発生したのである。だがどんな素性のサイトでそれが書かれていたのか、どういう文脈の中でその記述が存在したのかの前後関係を把握することなく、単に「ネットにそういう記述があったのは事実」だけで学生のレポートやら社会人の報告書やらが成立するワケないだろう? というコンセンサスが得られるまで、それほど時間はかからなかった。

 つまりは検索に一部抜粋が表示されたとしても、リンク元の記述を確認しないとダメだ、ということになったわけである。すでに多くの人は、抜粋だけで済むとは考えていないだろう。

 一方でSearch Labs AIは、複数のサイトを参照し、そこから得られた見解をサマリーでまとめて表示してくれる。まだ試験運用中ということもあり、全ての検索で必ず表示されるわけではない。あちこちで言及されている内容ほど、サマリーが出やすいようである。

 サマリーが表示されるメリットは、ユーザーによっては複数のサイトを調べ回って自分なりにまとめるという作業が不要になることで、ユーザーの手間と時間を節約できる事だ。またそもそも検索で調べものをするのが苦手な人でも、検索の達人と同じような結果が得られるというメリットもある。

 そのサマリーは、本来ならば複数のサイトを閲覧した結果、人間がそうまとめるべき形として出てくる。大きく間違った結果には今のところ筆者は出会っていないが、新聞協会の主張では「報道機関の記事を不適切に転用・加工し、事実関係に誤りのある回答を生成するケースが見られます」としている。

 AIが生成したサマリーの正誤は、もちろん大きな問題だ。加えてAIが参照するサイトが特定のものに偏らないという補償はなく、意見の多様性が反映されないこともあり得る。この問題はさらに、多くの視点が必要な論考でも、AIが問題をシンプルに矮小化してしまうという別の問題も孕んでいる。

 だが新聞協会に限らずWeb上のコンテンツを広告モデルで運営しているサイト全体が大きな影響を受けるのは、多くの人がそのサマリーで満足してしまい、情報元のサイトを訪れないため広告が回らない、というところである。これは取りも直さず、検索によってサイトの一部が表示される問題の「焼き直し」ともいえる話である。

 新聞協会としては、検索されたサイトの一部が抜粋で表示されるのは、最終的にはサイトを訪れて情報を確認してくれるという「道案内」ということで不承不承納得していた。だがAIによるサマリーは、わざわざサイトを訪れて答えを見ずとも先に答えが分かる「種明かし」だと主張する。種明かしとは上品な言い回しだが、要するに「ネタバレじゃねえか」と言いたいのだろう。

 サマリーを作るというのはAIが得意とするところなわけだが、それが「ネタバレ」につながるのであれば容認すべきではないというのは、多くの人が納得するところではないだろうか。

●それは著作権の問題なのか

 一方でMicrosoftのBingによるAIの実装は、こうした指摘を受けないよう、慎重に設計されているように見える。

 Bingで検索すると、回答として一番近いサイトの内容の一部が抜き出され、そこにチャット用の入力欄が表示される。つまりここを入り口として、Copilotへ移行するわけだ。ユーザーがCopilotで要約せよと言えばサマリーを出してくるが、これは通常のチャット型AIと同じである。

 もう1つのAI活用としては、ディープ検索がある。ディープ検索が行うのは、ユーザーが入力した検索ワードを、ChatGPTを用いてより詳細な検索クエリを作成する。そして検索結果もまた、そのクエリにより深く関連するかを判断して、検索結果を戻してくる。戻ってくる結果は要約ではなく、リンクだ。

 これは、ユーザーが「検索」に何を期待するのか、という話になる。検索しただけでサマリーまで出てくるGoogleは、検索の先にあるもの、すなわち回答を先回りして集めといてくれるものであり、検索という行為の先にあるゴールを見据えたものといえる。

 一方でBingのディープ検索のような実装は、質問意図に対してより的確なサイトを見つけたいというユーザーにとっては、実用的である。どちらも検索という行為の体験を向上させるものだが、方向性が違っている。

 サイトを見つけたいだけみたいな者がいるのかと思われるかもしれないが、実際に情報の真偽を確認するには、その情報の出所は重要だ。個人ブログと行政機関公式サイトの情報のどちらが信頼性が高いかは、言うまでもない。

 また情報を引用したい場合はその出所を示さなければならず、必然的にサイトのURLは必要になる。AIのサマリーで知りましたでは、話にならない。これは論文などでは非常に重要なポイントだし、子供達にはAIのサマリーを全面的に信用するな、と教える必要はある。

 ただその一方で、検索ついでのAIサマリーで十分な場合もあるのだ。例えばどうしても用語が思い出せないとき、その用語の意味するところをズラズラと検索クエリに入力して答えを探すみたいな使い方の時には、オリジナルのサイトまで訪れる必要はない。他にはちょっと話のネタに最近の話題を仕入れたいとか、あまり厳密に正誤を知る必要もないような事もあるだろう。

 これまではこのようなちょっとした行為に際しても、それぞれのサイトのアクセスカウンターを回していた。全てのサイトに広告がついて回るわけではないが、そうした軽微な行為にも広告が表示され、エコシステムが回っていたわけである。こうした傍流ともいえる収入は、AIサマリーによってなくなることはあり得るだろう。

 これは大変だ、と大騒ぎする気持ちは分かる。かく言う筆者もこうしたコラムでメシが食えるのは、皆さんがどこからか知ってここにアクセスして広告を回してくれるからだ。

 だが一消費者の目線として言わせてもらうと、昨今のニュースサイトでは、もしかして内容を読ませたくないのかと錯覚するほど、本文の邪魔になるように広告が展開される。本文を見るのに15秒ほどの動画広告を見せられたかと思うと、そのあとシレッと別の全面広告が表示されたりする。特にスマートフォン用サイトでその傾向が顕著だ。いくら広告によって無料でニュースが読めるとはいっても、二重三重に広告機能が被さっており、もはや一線を越えてしまった感がある。

 昨今生成AIサービスがさかんにスマートフォン向けのバージョンをリリースしているが、筆者は最初そのメリットがよく分からなかった。AIを使って調べものをするなら、PCのほうが便利だろうと思っていたからだ。

 だが広告のジャングルをかき分けてニュース本文を懸命に追いかけるより、AIに探させてファクトだけ知ったほうが早いと考える人も一定数いるのではないか。つまりスマホ向けAIの実装は、行き過ぎた広告モデルに対する消費者の反感を利用したマーケティングともいえるのではないか。そんな風に考えると、スマホにAIがガンガン実装される理由も腑に落ちる。

 新聞協会の指摘は、情報コンテンツとAIサマリーの問題のように見えるが、その本質はコンテンツと広告の出し方の問題にあるのではないか。サマリーだけ見て十分というひとがいるというよりは、広告から逃れるためにAIを使うという人の流れがあるということは、無視するべきではないだろう。

 筆者はメディアの仕事に首までつかってもう40年になる。今さらきれい事を言ってもどうにもならないのだが、メディアには消費者に対してより良いコンテンツ体験を提供する使命があると思っている。でもそれは金が回ってからの話だよね、というところを恥ずかしげもなく消費者に漏らさなければならないほど、メディアが広告で食うのは、難易度が高くなっているということなのである。

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