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“推し”への距離感を間違える「推しすぎ問題」を分析 健全な推し方とは? BTSやVTuberの事例から考える

ITmedia NEWS 2024年9月2日 8時5分

 山口県立大学に所属する研究者らが2023年に発表した論文「推しすぎ問題」は、ファンが推し(ファンの対象となる人物)に対して適切な距離間を取れず過度な期待をしてしまう現象を事例から考察し、健全な推し活を提案した研究報告である。

 人々がファン活動から満足感を得る理由は複雑だ。推しという存在を媒介することで得られる「自己愛」、推しを自身のアイデンティティーとして置き換えることで満たされる「承認欲求」、推しの成功や活躍を見守る、ある種育成ゲームのような楽しみや結果の分からないものへの「賭博性」という3つの欲求を満たす。これらの欲求を満たすことで、ファンは自己実現や社会的つながりを感じられる。

 しかし、SNSの発達により、ファンと推しとの関係性が変化している。ファンは推しに関するより多くの情報を容易に入手できるようになり、それによって親密さや献身度が高まる傾向にある。この変化は、時として推しに過度の負担をかける結果となっている。

 研究者らは、この現象を「推しつけ問題」と定義している。これは、ファンの熱狂的な行動が推しに精神的な負担をかけ、疲弊させてしまう問題を指す。例えば、VTuberの引退騒動、アイドルの私生活への過度な干渉、国際的な人気グループへの過剰な期待など、この問題の具体例として挙げられる。

●VTuberの事例から“推しすぎ問題”を考察

 まず、VTuberのAの事例を取り上げる。Aは22年末、それまで受け取り続けていたファンレターの受け取りを中止すると発表した。この決定の背景には、ファンの期待に応えられるかという不安や、ファンが好きなのは本当の自分ではなく理想化された姿なのではないかという疑念があった。

 Aは自身のSNSで「あなたのことを応援している」と書かれた手紙を読むことに恐怖や不安を感じると吐露した。彼女はこの状況を「歪み」と表現し、それを取り除くためにファンレターの受け取りを中止したのである。この決定は、ファンとの健全な距離感を保ち、長期的に活動を続けるための自衛策だったといえる。

 次に、同じくVTuberのBの事例を見てみよう。Bは20年8月に活動を休止し、同年11月30日をもって活動を完全に終了した。この背景には、一部の過激なファンによる行動があった。

 具体的には「私の言う事を聞いておけばよかったのに」「ここはこうしないと」「チャンネル登録者数を伸ばすためにここいったほうがいい」などの細かい指示や要求を突きつけるファンや、コラボ配信の際に他の出演者に対して「うちのBをお願いします」と過度に干渉するファンの存在があった。

 さらに、Bが注意しても「反抗期なんだね、私がいないとダメなんだから」と言い放つファンもいた。これらの行動に対し、Bは最終的に「お前が好きなのは脳内でつくりあげた都合のいい理想のおれか? 日々色んなゲームをして楽しんでいるおれか?」と苦言を呈し、ファンに適切な距離感を保つよう訴えた。この事例は、ファンの理想や期待が度を越すと、推しの活動そのものを脅かす可能性があることを如実に示している。

●「少し休みたいと考えることすら悪いことなのでは」 BTSの事例

 最後に、世界的に人気のK-POPグループ「BTS」の事例を取り上げる。13年のデビュー以来、BTSは立て続けに記録を打ち立て、世界的な成功を収めてきた。しかし、22年6月、BTSはグループとしての一時活動休止を発表した。

 この決定の背景には、成功がもたらした複雑な問題があった。メンバーのRMは活動休止の理由を説明する中で、グループのアイデンティティーの喪失感や、韓国の芸能ビジネスがアーティストに突きつける厳しい要求について言及し「K-popマシーン」と呼ばれる韓国の芸能界のシステムに対する懸念を表明。絶え間ない創作と活動の要求がアーティストに与える負担の大きさを指摘した。

 BTSのメンバーたちは、ファンからの期待に応え続けることの難しさも吐露した。「少し休みたいと考えることすら悪いことなのではないかと思うようになった」という発言は、ファンの期待が彼らに与える心理的プレッシャーの大きさを物語っている。

 この状況は、アーティストとファンの関係性の難しさを浮き彫りにしている。ファンの支持や期待は、アーティストの成功には不可欠だが、それが度を越すと、アーティストの創造性や精神的健康を脅かす要因となりうる。

 BTSの事例は、世界的な成功を収めたアーティストであっても、あるいはそれゆえに、ファンの期待と自身のアイデンティティーの間でバランスを取ることの困難さを示している。

●ファンの“健全な推し方”とは?

 健全な推し方を考える上で、まず重要なのは推しとファン双方の自己決定権の尊重である。推しには自らの活動スタンスやファンとの関係性を決定する権利があり、これにはファンの要望に応えるか否かの判断も含まれる。同様に、ファンにも自身の推し方を決定する権利がある。

 しかし、この自由は無制限ではなく「他者危害原則」が重要な指針となる。この原則は、他人に危害を及ぼさない限りにおいて自由に行動できるというものだ。つまり、ファンの行動が推しや他のファン、さらには社会に害を及ぼさない範囲内であれば許容されるが、それを超えた場合は健全な推し活ではないということになる。

 「推しつけ」と「意見」の区別も重要な論点である。健全な推し文化には、従うべきかいわいのルールが存在する。ファンの発言が意見として受け入れられるためには、正当なファンとしての条件を満たし、適切な場面で的確な内容を述べる必要がある。例えば、長期間推していることやファンクラブに所属していることが、正当なファンの条件として挙げられる。

 また、ファンの意見が受け入れられるのは、主に推しが積極的に意見を求めている状況においてである。この場合、ファンは推しの要望に対して的確に応答することが求められる。推しからの問いかけに対して、文脈に沿わない意見を述べることは適切ではないし、その意見を受け入れるかどうかは推しに決定権がある。

 具体例を挙げると、推しが次回のライブでのパフォーマンスについてアイデアを募集している場合、ファンは直接的にその内容に関する提案をすべきである。このような状況で、推しの現在の髪形や将来の髪形に関する意見を述べるのは、質問の趣旨から外れており、推しからすれば意見としての妥当性を欠くと考えられる。

 もちろん、何でも受け入れるというタイプの推しがいることは事実であるが、そのようなスタンスを採用するかどうかは推しが決めることである。

 つまり、ファンの意見は推しからの要望に応じて、その文脈に沿った形で表明されるべきである。このように、推しとファンの間で適切なコミュニケーションを図ることが、健全な関係性の維持につながるのである。

 健全な推し方とは、推しの自己決定権を尊重し、自身の理想や推しに対する過度な期待や干渉、要求を避け、他者に危害を及ぼさない範囲で行動することである。ファンは自身の推し方が推しや周囲の人々との関係を常に意識し、適切な距離感を保つことが求められる。

 この研究は、電子情報通信学会 技術と社会・倫理研究会(通称SITE研究会)で発表されたものになる。

 Source and Image Credits: 岩尾 真綾, 吉永 敦征. 推しすぎ問題. 電子情報通信学会技術研究報告(Web)(IEICE Technical Report(Web)) 巻: 122 号: 433(SITE2022 54-68) ページ: 53-60(Web ONLY) 発行年:2023年03月08日

 ※ちょっと昔のInnovative Tech:このコーナーでは、2014年から先端テクノロジーの研究を論文単位で記事にしているWebメディア「Seamless」(シームレス)を主宰する山下裕毅氏が執筆。通常は新規性の高い科学論文を解説しているが、ここでは番外編として“ちょっと昔”に発表された個性的な科学論文を取り上げる。X: @shiropen2

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